関西人と関西弁

■東京は大阪より高モラル? 調査会社のアンケート結果

東京都と大阪府に住んでいる人の、ともに4割強が、東京のほうが社会的モラルが高いと考えていることが16日、インターネット調査会社、アイブリッジ(大阪市)のアンケートで分かった。

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ここで言う「モラリティー」は、信号無視や駐車違反のことみたいなんだけど、思い出したことがあったのでちょっと書いてみる。


関西の人は、どうして共通語を使わない人が多いんだろう?

ぐるっと周りを見渡して、共通語を使っていない人を思い浮かべると、これはもう圧倒的に関西の人が多い。


僕は北海道の出身で、一応の母語は北海道の中央部(道央)で使われている方言、ってことになる。
そして、長く函館で暮らしていたので、今となってはどちらかというと函館弁のネイティブに近い。

函館や北海道の南部(道南)で話されている言葉は、いわゆる「北海道弁」としては比較的特殊で、民謡の江差追分で有名な江差のあたりになると、上代の日本語の断定の助動詞「べし」が残っているくらいだ。
東京はもちろん、札幌から来た観光客でも、函館の朝市のおばちゃんたちの言葉がわからないことだって珍しくない。

その函館で、僕は寄宿舎に住んで高校に通っていた。
学生の大半は北海道の各地から集まっていて、そこに一部の函館市民と、ごく少数の本州の人間、という人口分布(?)だった。

となると、お互いに言葉が通じないことがある。

じつは「共通北海道弁」といえるような共通方言が存在しない北海道では、函館の朝市の例を出すまでもなく、単語やアクセントの違いでちょっとしたディスコミュニケーションが発生することもある。

じゃあどうするか、というと基本的に共通語で話すんですね。

もちろん日本語同士なんだからおおまかなコミュニケーションはできるけど、細かいニュアンスを伝えようとしたら、アクセントが違うだけでスッと入ってこなかったり、わかってもらえなかったりするわけだから、自然とそうなってしまう。


ところが、数人いた関西出身者は、決して共通語を話そうとしなかった。
僕の関西弁に対する疑問はそのときに始まっている。



いわばそうした特殊な環境で、「ツール」として共通語を使っていたわけだけど、いざ東京に来てみると、言語的にはもっともっと面倒な状況のはずなのに、ほとんど苦労をすることはなかった。
もちろん、ほとんどの人があたりまえのように共通語を使っているからだ。

ところが、地方出身者よりもむしろ、いわゆる江戸っ子の人や(江戸弁ではないにしても)、千葉や埼玉の人の言葉の方が聞き取りにくかったりする。

多分それは、コミュニケーションで苦労したことがあまりないからだろう。
地方の人間なら、自分の母語を話す人がテレビに出たときに、共通語訳のテロップが画面に出る、なんてショックを受けたことが少なからずあるわけだけど、東京やその周辺ではそういうことはまずないだろうし。


そして、東京でもやっぱり関西の人は関西弁をかたくなに使っている人が多かった。
そういう人たちは、関西弁しか使わないことで、意志の疎通がうまくいかなかったことはないんだろうか。

自分が方言で経験した失敗や障害を思い返すと、そういう人たちはコミュニケーション不全があっても、それを無視してるんじゃないか? そんな気さえする。

なので、残念だけれど関西弁ネイティブの人には悪い印象を持つことが多い。
単語やイントネーションが違い過ぎて、何を言われているのかまるで耳に入ってこないときもあるし、それこそメールのような書き文字でまで方言を使われても、本当に困る。

だからといって、方言を否定したり、恥ずかしく思っているわけでもなければ、言語的にミックスになってる環境では正しい共通語を使え! なんて話をしているわけじゃない。

だいたい、僕自身共通語がうまく使えなくて、しょっちゅう単語のアクセントを間違ったり、聞き取ってもらえなかったりしているわけだし。東北北海道グループでベロベロに酔っぱらっちゃって、周りの人にはテロップが必要になるような状況になっちゃったときは、とても楽しかった。


要は、これだけたくさんの「原語」が存在している社会では、コミュニケーションのために共通語が必要な場所もある、って意識をそれぞれの人が持つ必要があるんじゃないか、そんな風に思う。



お正月の「岩手スノボ日記」に登場した酒飲みのNくんは、鉄板の関西ネイティブ。
岩手県民になった今もかなり色濃い関西弁なんだけど、本人は共通語を話してるつもり……というのが面白い。

でも、本人がそれだけ気を遣ってるだけあって、彼とのコミュニケーションに困ったことはない。

彼がいたおかげで、関西人に対する個人的な印象はずいぶん変わったのは、本当によかった。