サヨクの旗印、カタカナ符丁

casa_kyojin2012-07-11


震災以降、原発事故以降の被災地を語るとき、“フクシマ”というカナ表記や、“フクイチ”という略語&カナ表記を使いたがる人、といったボリュームがあるが、彼らはどうして「福島」「福島第一原発」とは言わないのだろう。

例えば、マータイさんの記事で「モッタイナイ」と書くのはわかる。
だけど、日本人が日本語で語る時に“フクシマ”?
まして“フクイチ”なんて符丁まで使われてしまうと、わざとわかりにくいようにしているのだろうか、とまで思ったりする。


心底疑問に思っていたけれど、どうやらそういうことか──という自分なりの結論に着陸できたのは、大飯原発で再稼働反対の活動中の左翼活動家の姿を見たからだった(画像)

原発の現場に成田闘争を持ち出すのは、時代錯誤の上、大きな勘違いに思えるが、彼らににとっては、当然のことなんだろう。
フクシマ、ナリタ、そしてヒロシマナガサキは、反体制活動という左翼的文法では“一連の流れ”なのだ。

“フクシマ”は、サヨクとそのシンパたちにとっては符丁であり、敵味方識別コードでもあるのだろう。

例えば、1982年の国連軍縮特別総会での日本被団協・山口仙二の演説は、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と締めくくられた。

その場所で、公用語の一つである英語で語る意義や効果は分かる。
でもそれが、日本の媒体で、ましてこの演説を取り上げた教科書で「広島」と表記されないのは何故か?
原爆についての主張は、彼らの符丁で行われる必要があるからではないか?


しかし、フクシマ、フクイチが、「ノーモア・ヒロシマ──」に連なる、というのは無理がありすぎる。
被爆者と被災者を同列視するのは、そもそも筋が通らないし、そんな無礼千万な話もない。
そもそも加害者が、アメリカと、日本政府+東京電力では、位相が全く違う


──と、ここまで書いて気がついた。

サヨクな人たちは、先の戦争の加害責任は、日本の軍部や政府、そして天皇にある、とすることが多い。
また、原爆死没者慰霊碑の「過ちは 繰返しませぬから」の主語を「人類」「世界市民」とする思想は、たしかに高潔ではあっても、やはりそこにはバイアスが感じられる。


そして、一番問題なのは、反体制活動としての反原発は、反日のための手段として「再稼働反対」「脱原発」を持ちだしてきてはいても、被災地、被災者に対するシンパシーを抱いているようには、なかなか思えないことだ。

例えば、子供たちは福島から逃げろという活動があるが、それは、それでもふるさとで暮らしたいという思いに寄り添えているのか?

あるいは、北九州で、中核派と、オルグされた“人民”が、広域瓦礫処理の受け入れの妨害活動を行っているが、低線量瓦礫に至るまで被災地に封じ込めろというなら、それは、代受苦としての放射能被害を穢れ視するという、被災地、被災者差別ではないのか?

とどのつまり、東京も危ないとか言い立てる向きがあるように、そうした扇情的なやり口は、結局はこの原子力災害を、同じ国民として共有するという気概が全く無いのだろう。


昨年来、新宿や高円寺、代々木などで行われてきた反原発デモは、自発的に集まった──とか、特定のイデオロギーに属していない若い世代が──といったギミックが繰り返し語られているが、その実はプロの活動家がオルグし、動員された労組が赤旗を振り、福島みずほグリーンピースが登壇し……といった真っ赤な反体制デモだった。

そうした現場で、活動家たちはなるほどプロだと思ったのは、大飯原発再稼働反対の座り込みでは、機動隊と対峙する最前線に小さな子供が、人間の盾として配置されていたことだ。
そしてもちろん、子供の頃から繰り返し見てきたテレビや映画で「女子供を盾にするとは卑怯な奴ら」と言われていたのは、いつも悪者の方だ*1

都内のデモや、大飯の座り込みに“自発的に集まった”人たちは、今こそ毛沢東の言葉「ゲリラ戦は人民の海を泳ぐ魚」という言葉の意味を、考えてもらいたい。

あるいは“自発的市民”までもが、大飯の現場で子供を連れ歩いていたとしたら、そんなパラドックスもない。
子どもの未来を守れ!──と、どれだけ叫んだところで、我が子をみすみす危険にさらすような親に、そんなお題目を掲げる資格は、無い。



さて、大飯の道路封鎖といえば、やはりTwitterの「どうしてこうなった・・・」で有名になったビキニ姿の女性だろう。
フンドシ男に担がせたチンコ神輿にまたがり、警察の阻止線の前で気勢を上げる彼女の姿は、テレビでも放映された

このパフォーマンスの意図は、全く理解できないし、この場に全くそぐわないものだったのは確かだけれど、それでもせめて、スタイルだけでも体裁が整っていたらなあと、残念に思う部分もある。

まず、メガネ+マスクの活動家スタイルのままなのがアウト。
そして、日本流にガチガチに寄せ上げされたトップも、色の合わないパレオも、とにかく全部がミスマッチ。

そのへんで、常に一本筋の通った見せ方をしているPETAFEMENは、さすがに上手い。
そして“脱ぐなら脱ぐ”という潔さもまた、小気味いい。
つまり、こういうパフォーマンスは、主義主張が違う人でも思わずクスリ、ニヤリとさせられてしまうような、ユーモアが必要ということだ。

だから、同じPETAでも、血まみれのパフォーマンスや、ファッションショー乱入といった極端さは評価できない。

そして「洒落にならない」という意味では、大飯原発のビキニも一緒なのだけれど。



一方、改正著作権法に対する抗議を行った、国際的ハッカー集団「アノニマス」は、黒服に「Vフォー・ヴェンデッタ」のガイ・フォークスのマスクをつけた姿で現れ、黙々とゴミ拾いの清掃活動を行った。

なるほど、原発前のビキニとは、色々な意味で随分違う。

結局のところ、他者にアピールするためには何を見せるべきか、というスタイルをわかっている人たちと、自己満足でお祭り騒ぎをしたいだけの人たちの差、ということなのだろう。


■Vフォーヴァンデッタ:ガイ・フォークスのマスク


■渋谷にアノニマス 仮面つけ無言の“抗議”(産経新聞:2012.7.7 11:22

違法ダウンロードを刑事罰化した改正著作権法に抗議して、政府機関などへのサイバー攻撃を表明した国際的ハッカー集団「アノニマス」の集会が7日、東京都渋谷区神宮前で行なわれた。アノニマスのシンボルとなっている仮面をつけた賛同者らが多数集まり、無言の“抗議活動”を行なった。

*1:戦争でこれを行った場合は、戦時国際法違反になる

小宮山厚労相「生セックス」発言を釈明

casa_kyojin2012-07-01


小宮山羊仔厚労相は2日夕の記者会見で、7月1日から食品衛生法が生の牛レバー(肝臓)の提供や販売を禁じたことについて「セックスは生、レバーは火を通して」と表現した自らの発言を撤回し、陳謝した。

この発言をめぐり、野田圭彦首相は同日、「不穏当な発言」として謝罪と訂正を指示。業界団体も反発している。

この「生セックス」発言が出たのは、2日午前の閣議後会見の冒頭。新しい衛生基準を説明する中で「少子化の今だから、セックスは生でしてほしいけれど、レバーを食べるときは必ず火を通して」と述べた。







※このカテゴリー [newstale] は、news +fairytale ──折々のトピックを題材にした、パスティーシュによる風刺です。

レバ刺し禁止だなんて、30年前だったら全く筒井康隆のSFの世界だったと思う。
国家の本質をナンセンスなブラックジョークでチクリ、みたいな。

そんなフィクション的虚構を現実がヒョイと追い越してしまい、本当にシャレが通じない世の中になってしまった、ということか。


そして、パスティーシュを書きながら、このくらいの放言をしてくれる人がいてもいいよなあ……なんてことを、無責任に妄想した。
もしそれが政治家だったら、決して投票したりはしないけれど、一緒にお酒飲んだりしたら楽しいかもなあ──くらいは思うよ。


※オリジナルは、コチラ
 ↓
■鉢呂氏「放射能つけちゃうぞ」「死のまち」発言は陳謝(朝日:2011年9月10日1時30分)

鉢呂吉雄経済産業相は9日夕の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所の周辺市町村について「死のまち」と表現した自らの発言を撤回し、陳謝した。この発言をめぐり、野田佳彦首相は同日、「不穏当な発言」として謝罪と訂正を指示。原発事故の被災地も反発している。


■生レバーじゃないよ、マンナンレバーだよ!

なんとコンニャクで作られた代用レバー。
ゴマ油や薬味を添えて食べると、本物と間違えてしまう人もいるともいうけれど……さて?

GID女子が、ミスキャンパスになる日

casa_kyojin2012-06-23


一橋大学の学園祭、一橋祭のミスコンに注目が集まっている。
ここでは、これまで僕のTwitterにアップした内容に、加筆改稿したものをまとめた。

■一橋大の大学祭ミスコンでトラブル 性同一性障害の「男子」の参加拒否

一橋大学の学祭で行われるミスコンを巡って騒動が起きている。性同一性障害の「男子」学生が出場を申請したところ、学祭運営委員会が拒否。ツイッターでやりとりが公開され、ネット上でも話題になっている。
(略)ミスコンに性同一性障害のある学生がエントリーしようとしたところ、「戸籍上の性別が女性である者のみ出場できる」という規約で委員会に拒否された。
その後、学生から議事録を借りた第三者が委員会とのやりとりをツイッターで公開。それを受けて委員会は戸籍性別要件を撤廃した。
しかし委員会は、この学生がツイッターで話題になったことで「知名度・話題性」の平等が保たれなくなったなどとし、最終的にエントリーは認めるが、書類選考が行われた場合「他の要素に関係なく最優先で落とす」と伝えてきたという(J-CASTニュース:2012/6/20 19:31


このニュースで興味深いのは、ミス・コンテストにエントリーしようとしたGID性同一性障害MtF*1の“彼女”を支える学内有志は、おそらくフェミニズム的な立ち位置にあるのだろう、と見られることだ。

ミスコンといえば、フェミの地平から攻撃されることこそあれ、このように肯定的なコミットが行われることは珍しい。
MtFのエントリーを認めよ──と迫った有志一同は、ミスコンを指弾するような硬直したフェミニストとは一線を画した存在だ。

一方、愚直に「戸籍要件」を振り回すばかりの一橋祭実行委員会は、どこまで小人の集まりなのだろう。

一橋大学は「ジェンダー教育に力を入れている」という。
フェミニズムにおいて、そうした当世的アップデートが行われた学生や教官が席を並べているのは、そのひとつの達成なのかもしれない。
それは運営側の頑迷な封建性、差別性と、じつに対称的なコントラストを見せている。

ともあれ、運営側はその後、ミスコンの参加規約から戸籍上の性別が女性であること──戸籍要件を撤廃。
その後も紆余曲折はあるが、ひとまず彼女は一橋祭のミスコンに参加する流れにある。

■ゆいにゃ@中尾杏奈(Twitter
 @Anna_Taso

 わたし、ミス一橋になる。 今日まで女の子として生きてきたみんなを、希望を信じた一橋生たちを、私は泣かせたくない。最後まで、笑顔で盛り上がっていてほしい。 それを邪魔するルールなんて、壊してみせる、変えてみせる。 これが私の祈り、私の願い。 さあ!出場させてよ、一橋祭運営委員!!

■第43回一橋祭運営委員会(一橋大学)(Twitter
 @ikkyosai43

 ミス一橋コンテスト2012に関するお知らせを掲載しました。http://jfn.josuikai.net/student/ikkyosai/oshirase/misscon_osirase.html

そして、上掲リンク先の「ミスコンの案件に対するお詫び および質問に関する回答・意見状(PDF)」には「戸籍要件は時代にそぐわないから撤廃」「MtFに関しても例外なく出場希望を受理」と、一見“前向き”な言葉が並んでいる。

しかし、それは規約をタテに拒んだものを、その撤廃により受け容れたという、じつに低次元の話でしかない。
これでは、運営側がジェンダーセクシャリティを取り巻くあれこれについて考察を重ねたとは、到底考えにくい。

それは、繰り返される「MtF──出場希望を受理」という表現からもわかる。

もし今後、同じGIDでもFtM*2の学生が参加を希望したら、運営側はどうするのか。

戸籍要件を錦の御旗にしていた段階なら、“彼”のエントリーは無条件で認められねばならない。
また、女性のクロスドレッサー(異性装者)が男装で参加することもまた同様だ。
そしてその金科玉条、戸籍要件が撤廃された今、そうした“女性”たちを、運営側はどう扱うのか。

ジェンダーセクシャリティ、そしてフェミニズムといった問題に対する受容体や定見を持たない運営側にとって、そうした対応はさぞ困難なことだろう。


一方で、牧村朝子レズビアンを公言する元ミス日本ファイナリスト)のように、運営側のそうした対応を「すごくフェア」と評価する向きもある。

しかし、牧村が自身の経験と「ミス日本」誕生の経緯を引いたあたりは、この問題を「合コンにGIDが来たら困る」といった論理で語る向きと同様のフォーシング、藁人形論法であり、本件と対照するには全くそぐわない。

当然だが、一橋祭のミスコンは、ミス日本のような一国を代表する民間使節を選ぶコンテストではないし、まして彼氏彼女選びの席としての合コンでもない。

牧村朝子
 まきむぅとレズビアンライフ:一橋大学ミスコン、性同一性障害をもつ学生への対応とメディアの報じ方について(ブログ)

レズビアンであることをカムアウトした上でわたしがミス日本に出場していたなら、ファイナリストに選んでいただくことはできなかったでしょう。
けれど、わたしはそれが差別であるとは思いません」

そもそもこの問題は、戸籍要件がファクターになってしまうあたりが、なんとも“みみっちい”

一橋大が「ジェンダー教育に熱心」だというのなら、ここは“当世的フェミニズム”の地平にドーンと立ち、セクシャリティに対してより開かれた、ユニバーサルデザイン的なアプローチが為されたミスコンを開催できないだろうか。
そこでは、GIDはもちろん、いわゆる男の娘や女装子といったクロスドレッサーのエントリーも、なんの問題もなく受け容れられるのだ。

そもそもミスコンという文化自体、参加者の対象となるのは、生物学的女性の全てなのか? という根源的なテーゼがある。
そして、決してそうではないから、ジェンダーフェミニズムの視点から批判されてきたのではなかったか。
そこに求められてきたのは、ある特定のジェンダー──率直に言ってしまえば“美しさを属性に持つ女性”だ。

ジェンダーフェミニズムといった環境が、どうにかこの程度の場所には到達できた今、ミスコンに参加できるのは生物学的女性のみ──とするのは、旧弊としての性差別でしかない。

またそこに、性別適合手術と戸籍変更を経たMtFだけを加えるだけでは、理解を装った教条主義にしかなれないだろう。


この時代、ご時世に“敢えて”開催されるミスコンは、生物学上、戸籍上の性だけではなく、GIDクロスドレッサー等々、あらゆる“女性”に開放されている──という形のジェンダーフリーを志向してもよいと思う。

そこでは、参加者全てが、書類であれ面接であれ、ミスコン的に等しい基準で選考されることになる。
もちろん、セクシャルマイノリティーを優遇する“逆差別”が行われてはならない。


そこでもし、僕が実行委員なら“彼女”の参加は大歓迎だ。

まず、彼女(画像)と去年のミス一橋大(画像)を比べたとき、そこに超えることが出来ない圧倒的な差があるようには思えない。

なにより、周囲の注目が集まれば集まるほど、予算や協賛の獲得など、色々な作業が回しやすくなっていくはずだ。

なので、一橋大のミスコンが当初「注目」というビジネスチャンスを選ばず、彼女の排除に動いたのは、運営側の頑迷な性差別がそれほど根深いか、あるいは、別なビジネス──これまで集めたカネの出どころ、タニマチの意向との兼ね合いに面倒なことでもあるのでは、など考えたりもした。


実際、以下のような指摘も相次いでいる。

■KOMIYA Tomone(Twitter
‏ @frroots

 一橋のミスコンのバックでは企業がカネ出してるわけなので、今回の騒動を問題だと思うなら、単に「一橋の頭が固い」という問題じゃなくて、こういうシステム全体の問題だと考えないと。/ミスコンに特化したポータルサイト | ミスコレ http://www.camcolle.jp/miss/


山口智美(Twitter
 @yamtom
 キャンパス・ミスコン事業を行う企業担当者へのインタビュー(ブログ)
 http://d.hatena.ne.jp/yamtom/20120620/1340205943

「A社の人の話を聞く限り、『ミスキャンパス』には『女性』および『最大限譲歩して』性同一性障害の女性はなれるが、コンテスト全体の出場者からしたらマイノリティである必要があるっぽい。そしてそれ以外は念頭にはないという印象をもった」
(※筆者注:“A社”が運営するWebサイト「キャンパスナビ」に、ミス一橋大に関する掲載は無い)

上掲リンクの前者、ミス一橋大の情報も掲載されているWebサイト「ミスコレ(上画像)」の運営会社は、複数の女子アナが所属している芸能事務所「古舘プロジェクト*3」だ。

また、広告代理店など、もっと大きな企業による投下資金が、ミスコンに直接的な影響を及ぼしている場合もある。

ある有名私大で、学生だったAV女優がミスコンのファイナリストから事実上排除された例のように、ブランディングマーケティングとして、ミスコンにMtFの学生が出場されては困る人たちがいる──のではないか?

すっかり芸能界への登竜門となってしまったミスコンで、資金を回収しようとしているタニマチの事業計画を、“運営側”の学生さんたちがスポイルできるわけもない。

一橋大のミスコンも、そうしたビジネスの影響下にあるとしたら、どれだけ“ジェンダー教育に熱心”な現場であったところで“ユニバーサルなミスコン”で時代をリードする機会は、遠のくだろう。


しかし、それとはまた別のフェイズも考えた。

運営側(あるいはそのタニマチ筋)が彼女の参加を認めるという譲歩を行ったのは、一種の炎上マーケティングというか、この話題性を逆手に取り、彼女をなんらかの形でメディアにデビューさせる目処が付いたから──というシミュレーションはどうだろう。

例えば、椿姫彩菜がコケたことで不在のままになってる“インテリオネエ枠*4”に送り込む絵が描けたのかもしれない。


その後、椿姫彩菜がこんな発言をしているのを見つけて、妙に考えさせられてしまった。

椿姫彩菜Twitter
 @ayanatsubaki

 そいや確かこの仕事始める前に青学のミスコンにしつこい勧誘にエントリーさせられたことあったなwww懐かしいwwwちょーどーでもよかったけどwww


こうした芸能人の発言を目の当たりにして、大学のミスコンは、青田買い、ステマといったビジネスだけではなく、ある種の意図や政治として、色々なものが動いていそうだと再発見させられた。
おそらく、この一橋祭ミスコン問題は、その発端とはまた別に、今後ビジネスとして様々な絵図や思惑の対象になっていくのだろう。



最後に、

「一橋大のミスコンに出場しようとしている男は、単に女装癖のあるバイセクシャル」

──という中傷があったことに触れておきたい。

この問題は、ジェンダーフェミニズム以上に、セクシャリティーとそのマイノリティーについての微妙な領域のものだ。
だから百家争鳴は当然にしても、ものを言うなら、せめてGIDMtF、男の娘、女装子……といった用語に、誤用混同、また思い込みの無い、最低限の理解をともなってほしいと、強く感じる。

まず彼女は、単なる男の娘(クロスドレッサー=異性装者)ではない。
それに、異性装のためだけに、心身への副作用といったリスクもあるホルモン投与を選択することは、そうそうできるものではない(ソースは彼女本人のツイート


そもそも、

MtF、あるいは男の娘は、男性に対して受け身のセックスを指向するもの”

といった“決めつけ”自体、手ひどい性的偏見だ。

例えば、GID MtF性自認を伴う性同一性障害なのに対して、クロスドレッサー、異性装としての男の娘や女装子は、必ずしも女性としての性自認を伴うわけではない。

また、それらとホモセクシャルは、必ずしも重なるわけではない。

いかなるセクシャルマイノリティでも、異性愛、同性愛、両性愛いずれの場合もある。
それは性的多数派の男女と変わらない。

セクシャリティやそのマイノリティの持つ多様性というのは、性自認性的指向になんの疑問を持つこともないヘテロセクシャル*5とは違い、とにかく複雑だ──といったことに、ほんの少しでも想像力を及ばせてもらえたら──と、ただただ願うばかりだ。

最初に書いたように、この記事はTwitterに書いたものをまとめ、大幅な加筆を加えたものだ。

オリジナルのツイートでも「運営側のタニマチがインテリオネエ枠を狙う?」という下馬評を書いたけれど、彼女本人がTwitter“キャバ”の勤務経験を語っていたことには、ちょっと微妙な感触もあった。
オネエ枠とはいえ、あのタレント、あのミュージシャンの場合も、水商売勤務歴が少し足を引っ張ったこともあるからだ。


そして……そんな下馬評に、椿姫彩菜ご本人がひどくご立腹のようで、即座にこんなメンションがつき、そしてブロックされた。

椿姫彩菜Twitter
 @ayanatsubaki

 あなた失礼じゃないですか?モラルを疑います。

椿姫彩菜がコケたことで不在のままになってる“インテリオネエ枠”──という表現が気にいらなかったのだろう。

同じようなことを、かつてメディアがもっと手厳しい調子で繰り返したときも、彼女はこうして脊髄反射的なリアクションをしたのだろうか。


■椿姫彩菜「わたし、男子校出身です。」

*1:心が女性のGIDで、自分の男性の身体に違和感を持っているケース

*2:MtFと対称的になる概念。心が男性のGIDで、自分の女性の身体に違和感を持っているケース

*3:設立者の一人はもちろん、古舘伊知郎その人

*4:例えば、テレビ朝日Qさま!!」のプレッシャーSTUDYのチーム分けに使われるようなカテゴライズとして

*5:異性愛

J:COMのブルーレイHDRがダメな話

casa_kyojin2012-06-15


引越しで、我が家にブルーレイHDRが来ることになった。
新居では、これまで使っていたCATVのセットトップボックス(チューナー)にDVD HDDレコーダーを組み合わせた端末が“契約上”使えなくなってしまうから──という消極的な理由だ。

引越しを機会に高い料金プランを押し付けられることには、正直イラッとする。
じつは以前にも、引越しでアナログ契約からデジタル契約に強制的に切り替えさせられたことがある。
このときは、“国策”であるデジタル化に従うことを、まあソクラテス的に受け容れなきゃな、と自分に言い聞かせた。
 
しかし、まだまだ使えるDVDを手放すのは、微妙に納得がいかない。
とはいうものの、そろそろ「Blu-rayだから見られないな」ってことも何度か経験してるし、使っていた機械自体も、ドライブの異音や、回転ムラが気になるようにもなっていた。

このへんがチャンスなのかな──とは思った。
そもそも、いつもHDDがパンパンになるくらいの録画ジャンキーなのだから、このへんでブルーレイにしておいてもよかったのだろう。


しかし──

我が家にやってきたパイオニア製のブルーレイHDR(BD-V8001RJ──BD-V8000RJのマイナーチェンジ機:画像)が、じつにヒドい代物だった。
あまりの使いづらさ、機能の少なさに、しばらくは録画予約どころか、テレビを見るのも嫌になってしまったくらいだ。

──パイオニア、本当にヒドい。


結論から言うと、機能や使い勝手の問題、そして不具合にクレームを入れたところ、パナソニック製のブルーレイHDR(TZ-BDW900J)に“あっけなく”無償交換ということになった。
以前のDVD HDRが同じパナソニック製だったということもあって、今は快適に使えている。

「メーカーが変わって使い勝手が違っただけじゃないの?」と思われるかもしれない。

しかし、以下に挙げる問題点を読んでいただければ、パイオニア製のヒドさがわかると思う。
※以下、基本的にパナソニック製との比較。ここで挙げた「できない」が、全てパナソニックでは「できる」

●毎週予約が事実上できない

 毎週予約を選択すると、番組名が記録されなくなる。
 また、時間追従予約ができなくなるので、放送時間の変更に対応できない。

●帯番組の録画ができない場合がある

 帯番組は「月金」「月土」の設定しか選択できない。
 例えば、テレビ局的に言う25時台とかの月金の番組では「火土」といった設定が必要になるが、不可能。

EPGからは、放送中の番組の録画ができない

 視聴画面に移ってから、録画ボタンを押す必要がある。

●追っかけ視聴ができない

 録画中の番組は、録画が終わってからでなければ再生できない。

●スロー再生ができない。

 編集のとき、一時停止とコマ送りしか使えず、大雑把な止め方しかできないのでCMカットなどの編集が難しい。

●フォーマットとファイナライズは全て手動

 フォーマットやファイナライズはどんなときでも手動操作を要求され、自動では一切できない。
 また、その速度が遅い。

●ダビング中の内容を視聴することができない

 一倍速でダビング中に、視聴することができない。

●要求される操作が多く、複雑

 例えば、EPGからの予約で、パナソニックはボタンを押す回数は最少で一度。しかしパイオニアは最低二回は必要な上、別外面への移動が必須。
 あるいは、予約確認画面を直接呼び出せず、ナビ画面に入ってから数回の操作が必要。
 ──など、とにかくボタンを押す回数や、画面の移動が多い。その移動も、サブ画面が出てくるのではなく、逐一別画面に飛ばされるのが煩雑。

●リモコンが使いづらい

 テレビ側のチューナーの選局に、テンキーを使えない。
 また、ドライブ切換や予約確認、操作一覧といったショートカットボタンが無い。
 送信部が一箇所しかなく(パナソニックは二箇所)到達範囲が狭く、出力も弱い印象がある。

EPGが見にくい

 青地に白の文字が、目にやさしいようでいて実に見にくい。

EPGの表示に不具合がある

 地上波テレビ朝日など、一部の放送局名が表示されない。
 各局のロゴのアイコンが、表示されたりされなかったりする。

●本体ディスプレイに時計の表示がない

 これは習慣依存かもしれないけれど、ビデオデッキが家に来て以来の何十年の習慣だから、結構ひっかかったし、不便に感じた(※ そして時計に関しては、パナソニックからも省略されてしまった)

D端子が無い

 これは時代の流れか。7年も使ってるからなあ、今のブラウン管テレビは。



パナソニックを「快適に使えている──」とはいうものの、2010年デビューの機械を、それもデッドストック状態のものを今さら使い始めるのか……というのは微妙な気分でもある(現在J:COMは、基本的にパイオニアのBDRを設置するようになっている)

でも、最近モデルチェンジして型式が8000から8001になったというパイオニア──J:COM的に最新のモデルが、機能も使い勝手も二年も前にデビューした製品に負けてるのって、どうなの?

J:COMが優先したのが、納入価格なのかなんなのか知らないけれど、最新型を選ぶと、機能や使い勝手が落ちるというのは、あまりにもユーザーを馬鹿にしている。


というわけで、これからJ:COMを契約したり、プランを変更するすべての人に、現在の「ブルーレイHDR」はおすすめできません。

担当営業所にパナソニック製の“旧型”端末が残っていたら、まあアリかもしれないけれど、特に現在、旧「HDR+」プランで契約している場合は、僕のように引越しで契約を強制的に変更させられるのでもい限り、ここは「待ち」でもいいのでは、と思います。

とにかくJ:COMのパイオニア製BDRはヒドい。全く! 使えません。


■パナソニック:DMR-BWT510

BDレコーダー、今や機能を絞ったら5万円しないのか……ちょっとビックリ。
CATVの予約録画を使い倒してるので、STBと一体のHDDレコーダーはとにかく便利に活用できてる。
でも、この端末を例えば5年使うとなると微妙だなあ、というのはある。
そういう意味で、三年目に機種変更となった今回は、まあいい感じだったのかもしれない。
経年劣化なのかなんなのか、HDDもディスクドライブも、回転音がかなーりアヤシい感じになってきてたしね。

J:COMの工事の人に聞いた話では、設置して何年か経ったころ、自分で壊しといて交換させるユーザーもいるらしい……。

週刊誌のネタ元のお話

casa_kyojin2012-05-24


■これが突然休養の真相だ!
 沢尻エリカ大麻中毒 決定的証拠公開週刊文春:2012.05.23 18:02


送り主は、沢尻の前所属事務所スターダストプロモーション代理人A弁護士。2009年9月29日付で、沢尻に「契約解除」を通知したペーパーである。

この書面には、これまで芸能界の“闇”に葬られてきた衝撃的な事実が綴られていた。

〈本解除は、平成21年9月10日に本人同意のもと薬物検査を実施したところ大麻について陽性反応が示され、本人は大麻使用の事実を認めた上で、今後大麻の使用を止めることはできない旨を表明したことなどが、専属契約の第9条(1)に該当することによるものです〉


今回の文春のエリカ様の件がそうだとは言わないけど──週刊誌時代、スキャンダルのネタ元が弁護士、ってことはよくあった。
離婚とかDVみたいな男女間の問題。個人や事業の借金みたいな金銭トラブル。あと、騒音とか近所迷惑みたいな地域トラブルの類とか。

芸能人なら所属事務所、スポーツ選手なら所属団体や競技団体、って筋からのリークもよくある。あと、自分のところでは絶対にそういう記事を書けない芸能専門誌や、スポーツ専門誌の関係者からのリークとか。

記事中で証言している「芸能関係者」「競技関係者」「マスコミ関係者」といった曖昧な肩書きの人たちは、じつは「所属事務所担当者」「所属団体幹部」「◯◯マガジン編集者」といった、実に核心に近い人だったりもする。

適当な記事だからどうでもいいような肩書きの人間が証言している体裁にしているわけじゃなく、時に、スキャンダル渦中の“本人も知らないような真相”が暴露されたりするウラには、そんなカラクリがあったりもする。



週刊誌時代の同僚に、まるで使えない女性記者がいた。
なにしろ、陸運局で車のナンバーの照会を断られたり(ディーラーのスタッフのふりでもしておけばどうにかなる)、区役所で真正面から取材対象の戸籍謄本をとろうとしたりする。
学生バイトでもないのになんでこんな奴が……といつも思っていた。

そして、その“使えない女記者”の正体は、なんと“有名サッカー誌の編集長の愛人”だった。

寝物語でいろんな選手のスキャンダルを耳に入れてくるから、なんとも便利。
仮面夫婦な代表選手の愛人問題とか、所属事務所社長との不倫疑惑とか、いろいろ引っぱってきてくれたものだ。

でも、不倫セックスで引っ張ってくるネタで、ちょっとしたサラリーマンの月給分以上は稼いでたんだろうから、いい商売だというか……それ以外は省庁や企業に資料もらいにいったりするくらいの仕事しかしてなかったんだから、地球最古の商売っていうのは恐ろしいなあ。

“強き者”よ汝の名は女なり──といったところだろうか。


■「リーガル・ハイ」オリジナル・サウンドトラック

オダギリジョー主演の「家族のうた」(フジ)が打ち切りになったりと、低調の今期ドラマ。

その中でも、内容視聴率共にがんばっている──というわけではないけれど、堺雅人好きとしては外せない魅力は充分にある「リーガル・ハイ」(同)

新垣結衣の役所と芝居は、11年7月期の「全開ガール」とモロ被りというか、そのままなのが痛々しいのだけれど、堺雅人のヤリ過ぎ芝居や、里見浩太朗の飄々とした現代劇芝居は、充分に楽しい。



「芸能関係の顧客を多く抱え、有力事務所の顧問弁護士も務めている◯◯弁護士。
しかしそのウラの顔は、職業上知り得たスキャンダルをマスコミにリークする“バッジをつけた情報屋”だった。
職業倫理にもとる同業者の前に、古美門研介の欲の皮……じゃなくて正義? が立ちふさがる!」


……みたいなエピソードがあったら見てみたいなあ。

期待放題イノセンス

casa_kyojin2012-05-18


虚構新聞」が、またまた騒がしい。

橋下徹大阪市長の行政運営を揶揄した記事が話題になっているのだけれど、本物のニュースだと勘違いする人が多く出てしまい、それが批判されているのだという。

■橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化

大阪市橋下徹市長は13日、市内全ての小中学生に短文投稿サイト「ツイッター」の利用を義務付ける方針であることを明らかにした(略)
(Kyoko Shimbun 2012.05.14 News)

正直な話、一番驚いたのは、虚構新聞に“騙される”人って、そんなにいるんだ──ということだった。

たしかに「虚構新聞」が取り上げる話題は、プラクティカルジョークとして“まずまず”のことも多い。
しかし、新聞記事としての体裁は、用語や記法に穴が多く、“新聞そっくり”と言うには程遠い。
それこそ、報道文のパスティーシュ、あるいは“たほいやごっこ”としてのレベルでなら、高文連で活躍しているような新聞部の方が、まだ上かもしれない。

となると、「騙された、けしからん!」といった直情的な批判には、読み手のリテラシーの低さから来る部分もあるのかもしれない。

かといって第三者が、読み手の読解力を批判するの筋違いだし、まして“被害者”に代わって虚構新聞バッシングを始めるのは、あまりにウィットに欠ける。

とはいえ、書き手が「こんなのすぐにウソだとわかるよね」と決めてかかっているというか、そうした共通認識に“漠然と”期待する形でサイトを運営してきた姿勢には、問題があったと思う。

こうした騒動をもたらす根本的な原因は、ジョークだとわかるような明示が“どこにも無い”からではないだろうか。

たしかにどの記事にも、リードの横には“白地に白い文字”で“これは嘘ニュースです”と書いてある(選択、反転表示で可視化される:上画像)
しかしこれでは“明示”には程遠く、この他は示唆のレベルのものも一切無い。

サイト名で「虚構」と名乗っている──という指摘も随分あるけれど、「毎日」や「読売」はともかく、「河北新報」の例もある。
あれは「東北は“白河以北一山百文”(じゃない!)」という意味の諧謔であり、強い決意表明だ。

また、その道のプロも“騙されてしまった”ように、「虚構」と名乗っていたことも、フールプルーフとしては機能しなかったのが現実だ。

あるとき、ナインティナインのオールナイトニッポンが、虚構新聞の記事を“事実”として紹介してしまったことがある。
たしかに、この件に関して言えば、スタッフの“裏取り”無かったことが主な原因だろう。

しかし、読み手のリテラシーと、このサイトの記事が人を騙しうる可能性については、やはり切り離して考えるべきだと思う。

この程度の記事、内容に騙されてしまう番組スタッフとナインティナインは、もちろんプロとして恥ずかしい。
しかし、一般の読み手に、プロと同じようなリテラシーが期待されるべきではない。

■ナインティナインが番組内で″ガセネタ″を放送し、話題に

15日、深夜ラジオ番組「ナインティナインのオールナイトニッポン」内で、ナインティナインがデマ情報をニュースとして読み上げ、その後に謝罪していたことがネット掲示板で話題になっている(略)「便器生産国内1位のTOTOが、和式便器の生産終了を発表した」というニュースを事実ネタとして紹介(略)(livedoorニュース:2012年03月16日)

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■和式便器の生産終了 318年の歴史に幕

便器生産国内1位の株式会社東京トイレット(TOTO)は14日、年内で和式便器の生産を終了すると発表した(略)(Kyoko Shimbun 2012.03.15 News)


実は僕もブログで、ごくたまに“嘘ニュース”を書くことがある 。
そして、勘違いした個人や、まとめサイトに引用され、大変困ってしまったことがあった。
以来、元ネタを明示するようにしているが、虚構新聞にこれまで、そういう「気づき」が無かったことを残念に思う。

虚構新聞の中の人のTwitterアカウントは、この件に関する“お詫び”として「今後はもっと現実離れした虚構報道を心がけます」とツイートしているけれど、どれだけ“現実離れ”した話だったとしても、無垢に信じてしまう人がいる──ということを、僕はそんなふうに経験した。

検索結果にたまたま上がってきただけの、ロクに更新していない個人ブログが“引用”した、

椿姫彩菜が『中高年男性の首下女装を新宿界隈から締め出すべき』という考え方を示した」(拙ブログ:■[newstale] <椿姫彩菜>はるな愛と激論 メイクや女装、豊胸で

──なんて“海日新聞”の記事を、信じてしまう人もいる。

まして、ニュースの体裁で書かれた、その時々のトピックなら──ということなのだろう。


そのへんも、西村博之a.k.a. ひろゆき)にかかれば「虚構新聞を「騙された!」って非難してる人って、「自分は読解力の無いバカです」って公言してるようにしか見えない」とバッサリやられてしまうけれども、送り手が、受け手のリテラシーイノセンスに期待するのは、やはり順序が違うと思う。
もっとも彼のスタンスは、自由というよりは常に“無秩序”を指向しているようだから、こうした話題にはそぐわない価値観だけれど。

また、ゆうきまさみ茂木健一郎が、「虚構新聞がんばれ」といったツイートをしているのは、とても残念だ。
本当に残念だけれど、世の中の大半の読者は、センセーたちのようなリテラシーを持っているわけではないのだから。

虚構新聞の中の人は「記事のタイトルに最初から『虚構新聞』と入れておけ」というご批判は(略)本紙読者のリテラシーをバカにしている」というけれど、その理想はともかく、現実が追いついていないことには、目が向けられていない。

たしかに「たわいのない嘘をつき続けるサイトがWebには必要」という意見にも、各論では賛成できる。
しかし、かかる現実の前で嘘をウソと明示しないのであれば、メディアの姿勢としては致命的な欠落になってしまう。

虚構新聞の出典が分かりやすい嘘記事よりも『海保職員が中国の漁船員によって殉死した』(略)とかのどっかの誰かの願望に満ち溢れた出典不明の嘘の方がタチが悪い」というツイートがあったけれど、虚構新聞は、はたして“誰でもわかるようなウソ”なんだろうか。

東京スポーツ」を例に引いて「記事にウソと書いてあるのか? 読んだ人が信じるのか?」みたいに言う人がいるけれど「東京スポーツの読者は記事が真実かどうかには関心がなく、娯楽記事として一読している」といった判例まである東スポ本当)と、虚構新聞の社会認知を同列に扱うことには無理がある。


ともあれ、虚構新聞は、咎め立てされたことで今度は「京都市嘘中京区にある嘘ブックストア『嘘丸善』に嘘レモンを仕掛けたという匿名の嘘電話があり、嘘警察が嘘出動する嘘事件があった」「嘘編集部注・嘘次回嘘更新からは嘘通常に戻ります」(Kyoko Shimbun 2012.05.16 News)と返した。

これを茂木健一郎は「筋金入り。現代日本におけるもっとも優れた知性」と絶賛しているけれど、開き直って嘘々と繰り返すだけなら、それは子供のケンカだろう。
せめてアフィリエイトの収入分くらいは、メディアとしての自覚を持ってくれたらよいのだけれど──と思うばかりだ。


虚構新聞の“中の人”はさらに、検証記事の体裁の文章をサイトにアップした(■検証:橋下市長ツイッター義務化報道問題

曰く──

「本来「デマ」とは出所の分からない真偽不明の情報を指すのであって、出所も真偽も全て明らかな本紙虚構記事はこれに該当しない」

──というのだけれど、これは大きな勘違いか、あるいは確信犯としての開き直りだろう。

僕は、虚構新聞のジョークを、デマとまで言うつもりはない。
しかし、“出所と真偽を明記していない”というなら、それこそが虚構新聞のことだろう。

まず、「出所」が明らかにされた記事を読んだことはない。

また、真偽の明記については、あえて言うならタイトルで「虚構」と名乗っていることを指すのだろうけれど、それで十二分とは思えない(白地に白のクレジットはもちろん問題外だ)
理由としては、フールプルーフとして機能しなかったケースと、「河北新報」の例を先に引いた。



虚構新聞は、これからも嘘ニュースを掲載するべきか──イエス

しかし、ウソと大書きしろとまではいわないけれど、それとわかる示唆が“サイト名だけ”というアピアランスでは、もはや立ち行かないところまで来てしまったのだと思う。
本当に残念だけれど、ユーモアを取りまく日本の現状は、茂木センセーの言うようなイギリスの環境とは程遠いのだから。


■虚構新聞社「号外!!虚構新聞」

なんと、既に書籍化されていたということにも驚いた。

Amazonの書評では「それにしても、この本の筆者の文章力は脱帽です…。凄いです」「筒井氏ばりの虚構世界構築の巧みさといい、ばっちり洗練されていてユーモアも含んだ軽やかな文章といい、ただものではない」とった形で絶賛されている。

新聞記事の体裁としての“たほいやごっこ”としては、用語や記法に根本的な問題を抱えている文章も、プロの編集の手でクオリティが高められたりしているのだろうか。

菓子工房オークウッド(埼玉・春日部) ★★☆☆☆

casa_kyojin2012-05-09


オーナーシェフの横田秀夫が、パークハイアット東京を退職した時、それが独立開業に向けたものだということで、しばらくは気をもんでいた。

そして、やっと開業のニュースが聞こえてきたとき、それが埼玉・春日部ということで、ずいぶんガッカリしたものだ。
なかなか足を伸ばせる距離ではない。
実際、店を訪問できたのはまだ一度だけで、あとはごくたまに大宮のエキナカにイベント出店するタイミングを楽しみにしている。

ともあれ、ガーデンのハーブやベリーと共にある店づくりを指向したとのことなので、こうしたロケーション選びは、必然だったのだろう。
広い敷地の中にたくさんの植物が育ち、通路の傍らであたりまえのように果物が実っていたりするなんて、とても素敵なことだと思う。

カントリーサイドの気取らない店、それでいてクオリティが高いという、なんともご近所さんにはうらやましい店だ。
ケーキも、焼き菓子も、しっかりした仕事と、華美なところのない堅実さが好感を持てる。

しかし、併設されているカフェがいけない。
常に満席が当たり前の賑わいで、それもそのはず、持ち帰れないデセールはとても美味しい。
しかし、出てきた紅茶に仰天した。
カフェの紅茶に失望することはよくあるけれど、ここまでひどいものが出てきたのは初めての経験だった。

アンリ・シャルパンティエ銀座本店でも、紅茶という名の色水が出てきたが、それでも一杯くらいは我慢して飲むことができた。
しかしこのカフェの紅茶は、一口含んで即、カップに戻したくなるくらい、香りも味も無い上にぬるい、というカフェの仕事としてはあまりにもヒドい代物だ。

黙ってコーヒーを注文しなおしたが、あまりの酷さに会計時にバリスタに話を聞いた。
彼は、茶葉へのこだわりと、お湯の温度について語ってくれたが──その温度、94℃だというのだから、話にならない。
完全に沸騰していない湯で入れた紅茶が、どこの世界にあるのだろう。

もちろん沸騰こそしていても、ポットなどにかけっぱなしで酸素が抜けてしまい、ジャンピング不足になった結果としての残念な紅茶は出す店は本当に多い。
しかし、そんな中途半端な温度の湯を注いでしまえば、コーヒースタンドで出てくるティーバッグ以下の色水になるのは当然だ。

カフェ限定のデセールには、本当に魅力的なメニューが多いのだけれど、ここでは決して紅茶をたのんではいけない。
頼み直したコーヒーは、まあマシンで入れたものとして月並みなものだったので、無難だとは思う。
しかし、自家製ジャムのソーダ割りといったスペシャリテを頼んでいたら、評価は全く違ったのかな──と素直に期待したい気持ちは大きい。それだけ、この店のお菓子は、魅力的だ。
ケーキや焼き菓子の持ち帰りだけなら、★4つ。
カフェには★1つ。
総合で★2がギリギリといったところか。

しかし、あの紅茶で金をとっているというか、客に出しているカフェは言語道断だと思う。
横田秀夫その人は、あの紅茶を飲んだことがあるのだろうか。


■横田秀夫「菓子工房オークウッド 初夏〜春までの季節感たっぷりレシピ」