期待放題イノセンス

casa_kyojin2012-05-18


虚構新聞」が、またまた騒がしい。

橋下徹大阪市長の行政運営を揶揄した記事が話題になっているのだけれど、本物のニュースだと勘違いする人が多く出てしまい、それが批判されているのだという。

■橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化

大阪市橋下徹市長は13日、市内全ての小中学生に短文投稿サイト「ツイッター」の利用を義務付ける方針であることを明らかにした(略)
(Kyoko Shimbun 2012.05.14 News)

正直な話、一番驚いたのは、虚構新聞に“騙される”人って、そんなにいるんだ──ということだった。

たしかに「虚構新聞」が取り上げる話題は、プラクティカルジョークとして“まずまず”のことも多い。
しかし、新聞記事としての体裁は、用語や記法に穴が多く、“新聞そっくり”と言うには程遠い。
それこそ、報道文のパスティーシュ、あるいは“たほいやごっこ”としてのレベルでなら、高文連で活躍しているような新聞部の方が、まだ上かもしれない。

となると、「騙された、けしからん!」といった直情的な批判には、読み手のリテラシーの低さから来る部分もあるのかもしれない。

かといって第三者が、読み手の読解力を批判するの筋違いだし、まして“被害者”に代わって虚構新聞バッシングを始めるのは、あまりにウィットに欠ける。

とはいえ、書き手が「こんなのすぐにウソだとわかるよね」と決めてかかっているというか、そうした共通認識に“漠然と”期待する形でサイトを運営してきた姿勢には、問題があったと思う。

こうした騒動をもたらす根本的な原因は、ジョークだとわかるような明示が“どこにも無い”からではないだろうか。

たしかにどの記事にも、リードの横には“白地に白い文字”で“これは嘘ニュースです”と書いてある(選択、反転表示で可視化される:上画像)
しかしこれでは“明示”には程遠く、この他は示唆のレベルのものも一切無い。

サイト名で「虚構」と名乗っている──という指摘も随分あるけれど、「毎日」や「読売」はともかく、「河北新報」の例もある。
あれは「東北は“白河以北一山百文”(じゃない!)」という意味の諧謔であり、強い決意表明だ。

また、その道のプロも“騙されてしまった”ように、「虚構」と名乗っていたことも、フールプルーフとしては機能しなかったのが現実だ。

あるとき、ナインティナインのオールナイトニッポンが、虚構新聞の記事を“事実”として紹介してしまったことがある。
たしかに、この件に関して言えば、スタッフの“裏取り”無かったことが主な原因だろう。

しかし、読み手のリテラシーと、このサイトの記事が人を騙しうる可能性については、やはり切り離して考えるべきだと思う。

この程度の記事、内容に騙されてしまう番組スタッフとナインティナインは、もちろんプロとして恥ずかしい。
しかし、一般の読み手に、プロと同じようなリテラシーが期待されるべきではない。

■ナインティナインが番組内で″ガセネタ″を放送し、話題に

15日、深夜ラジオ番組「ナインティナインのオールナイトニッポン」内で、ナインティナインがデマ情報をニュースとして読み上げ、その後に謝罪していたことがネット掲示板で話題になっている(略)「便器生産国内1位のTOTOが、和式便器の生産終了を発表した」というニュースを事実ネタとして紹介(略)(livedoorニュース:2012年03月16日)

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■和式便器の生産終了 318年の歴史に幕

便器生産国内1位の株式会社東京トイレット(TOTO)は14日、年内で和式便器の生産を終了すると発表した(略)(Kyoko Shimbun 2012.03.15 News)


実は僕もブログで、ごくたまに“嘘ニュース”を書くことがある 。
そして、勘違いした個人や、まとめサイトに引用され、大変困ってしまったことがあった。
以来、元ネタを明示するようにしているが、虚構新聞にこれまで、そういう「気づき」が無かったことを残念に思う。

虚構新聞の中の人のTwitterアカウントは、この件に関する“お詫び”として「今後はもっと現実離れした虚構報道を心がけます」とツイートしているけれど、どれだけ“現実離れ”した話だったとしても、無垢に信じてしまう人がいる──ということを、僕はそんなふうに経験した。

検索結果にたまたま上がってきただけの、ロクに更新していない個人ブログが“引用”した、

椿姫彩菜が『中高年男性の首下女装を新宿界隈から締め出すべき』という考え方を示した」(拙ブログ:■[newstale] <椿姫彩菜>はるな愛と激論 メイクや女装、豊胸で

──なんて“海日新聞”の記事を、信じてしまう人もいる。

まして、ニュースの体裁で書かれた、その時々のトピックなら──ということなのだろう。


そのへんも、西村博之a.k.a. ひろゆき)にかかれば「虚構新聞を「騙された!」って非難してる人って、「自分は読解力の無いバカです」って公言してるようにしか見えない」とバッサリやられてしまうけれども、送り手が、受け手のリテラシーイノセンスに期待するのは、やはり順序が違うと思う。
もっとも彼のスタンスは、自由というよりは常に“無秩序”を指向しているようだから、こうした話題にはそぐわない価値観だけれど。

また、ゆうきまさみ茂木健一郎が、「虚構新聞がんばれ」といったツイートをしているのは、とても残念だ。
本当に残念だけれど、世の中の大半の読者は、センセーたちのようなリテラシーを持っているわけではないのだから。

虚構新聞の中の人は「記事のタイトルに最初から『虚構新聞』と入れておけ」というご批判は(略)本紙読者のリテラシーをバカにしている」というけれど、その理想はともかく、現実が追いついていないことには、目が向けられていない。

たしかに「たわいのない嘘をつき続けるサイトがWebには必要」という意見にも、各論では賛成できる。
しかし、かかる現実の前で嘘をウソと明示しないのであれば、メディアの姿勢としては致命的な欠落になってしまう。

虚構新聞の出典が分かりやすい嘘記事よりも『海保職員が中国の漁船員によって殉死した』(略)とかのどっかの誰かの願望に満ち溢れた出典不明の嘘の方がタチが悪い」というツイートがあったけれど、虚構新聞は、はたして“誰でもわかるようなウソ”なんだろうか。

東京スポーツ」を例に引いて「記事にウソと書いてあるのか? 読んだ人が信じるのか?」みたいに言う人がいるけれど「東京スポーツの読者は記事が真実かどうかには関心がなく、娯楽記事として一読している」といった判例まである東スポ本当)と、虚構新聞の社会認知を同列に扱うことには無理がある。


ともあれ、虚構新聞は、咎め立てされたことで今度は「京都市嘘中京区にある嘘ブックストア『嘘丸善』に嘘レモンを仕掛けたという匿名の嘘電話があり、嘘警察が嘘出動する嘘事件があった」「嘘編集部注・嘘次回嘘更新からは嘘通常に戻ります」(Kyoko Shimbun 2012.05.16 News)と返した。

これを茂木健一郎は「筋金入り。現代日本におけるもっとも優れた知性」と絶賛しているけれど、開き直って嘘々と繰り返すだけなら、それは子供のケンカだろう。
せめてアフィリエイトの収入分くらいは、メディアとしての自覚を持ってくれたらよいのだけれど──と思うばかりだ。


虚構新聞の“中の人”はさらに、検証記事の体裁の文章をサイトにアップした(■検証:橋下市長ツイッター義務化報道問題

曰く──

「本来「デマ」とは出所の分からない真偽不明の情報を指すのであって、出所も真偽も全て明らかな本紙虚構記事はこれに該当しない」

──というのだけれど、これは大きな勘違いか、あるいは確信犯としての開き直りだろう。

僕は、虚構新聞のジョークを、デマとまで言うつもりはない。
しかし、“出所と真偽を明記していない”というなら、それこそが虚構新聞のことだろう。

まず、「出所」が明らかにされた記事を読んだことはない。

また、真偽の明記については、あえて言うならタイトルで「虚構」と名乗っていることを指すのだろうけれど、それで十二分とは思えない(白地に白のクレジットはもちろん問題外だ)
理由としては、フールプルーフとして機能しなかったケースと、「河北新報」の例を先に引いた。



虚構新聞は、これからも嘘ニュースを掲載するべきか──イエス

しかし、ウソと大書きしろとまではいわないけれど、それとわかる示唆が“サイト名だけ”というアピアランスでは、もはや立ち行かないところまで来てしまったのだと思う。
本当に残念だけれど、ユーモアを取りまく日本の現状は、茂木センセーの言うようなイギリスの環境とは程遠いのだから。


■虚構新聞社「号外!!虚構新聞」

なんと、既に書籍化されていたということにも驚いた。

Amazonの書評では「それにしても、この本の筆者の文章力は脱帽です…。凄いです」「筒井氏ばりの虚構世界構築の巧みさといい、ばっちり洗練されていてユーモアも含んだ軽やかな文章といい、ただものではない」とった形で絶賛されている。

新聞記事の体裁としての“たほいやごっこ”としては、用語や記法に根本的な問題を抱えている文章も、プロの編集の手でクオリティが高められたりしているのだろうか。