埼玉的「自分以外全部バカ学」
仕事で外環からて埼玉入り。何ケ所か移動を繰り返す。
移動時間のせいか、新幹線で出かけた名古屋よりも遠く感じた。
埼玉の幹線道路を車で移動していると、街道筋の風景は延々と同じ風景のくり返しのことが多い。
ファミレス、コンビニ、量販店、ファーストフード、またファミレス……これならまだ東京に住んでた方がいいかな、とも思う。
それにしても越谷市の公共施設のデザインセンスはスゴイ。
というか、税金をああいうふうに使うことに対して越谷市民はなんとも思っていないのだろうか?
みんなお金持ちだから? どの建物も無闇矢鱈と豪壮で威圧的だ。
敷地が広いのはまあいいとしても、何から何までゴシック調で、親しみやすさは皆無。
とにかく無駄に巨大で背が高い。
広さだけはある敷地にしても、造園や通路の取り回しになんて全く気を使わず、ただ広いだけで無味乾燥(そしてことごとく地面をコンクリートで隠している)
要は人間不在なのだ。
権威的で武張った様式を歴史から持ち出してきて、そこに政治的文化的な何かを仮託しようとしたのはナチスだったけれど、ゴツゴツした建物のパッと見だけをパクってきて、仏作って魂入れずになっているように見えるのが越谷だった。
市民球場にやたらと立派な照明設備があるのは素晴らしいし、それは素直にうらやましい。
ゴミ処理施設の巨大ビルに、これも巨大な金文字で「REUSE」と書いてあるのは新興宗教の祭殿みたいだけれど、新しくて高性能の処理施設はもちろん素晴らしい。
でも、その煙突(?)にずいぶんと立派な高層展望台が併設されているのは何故?
とにかく燦然と輝いているいくつもの施設を眺めていたら、「銀河鉄道999」に出てきた独裁者が国民を全員死刑にしてしまった惑星を思い出した。
その独裁者の著書のタイトルは「自分以外全部バカ学」だ。
空き地に巨大なサイコロを置いただけのような市民会館から出てきた女性職員が、黒いハーフストッキングにサンダル履きだったのを見て妙に安心した。
まあそのくらいの人間っぽさはあるみたいだから。
越谷、っていうとコレでしょう!