「シンドラーのリスト」★2/5

あるシーンのためにだけ、あるいはある一言のセリフのために作られる映画というものがあってもいいと思う。
しかし、この作品がもし、ラストシーンのために作られたものなら、これはもはや芸術やエンターテイメントとしての「映画」ではない。



僕はドイツ人でもないしユダヤ人でもない。それに、ユダヤ人に格段の配慮が必要なアメリカという社会で生活しているわけでもない。

となると、シンドラーはラストの献花シーンによって「花をたむけられるべき」人物である、というこの作品の主旨や、その政治性には猜疑心こそ持っても、素直に涙することはできない。 また、イスラエルの情勢がこれだけ激しいものになっている今となっては、一つのプロパガンダにすら感じられてしまう。

また、この作品以降、日本の外交官杉原千畝を、「日本のシンドラー」と称することが飛躍的に増えた。
副次的なこととはいえ、「日本の杉原」がホロコースト国家の実業家に擬せられる風潮が根付いてしまったのは残念だ。


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