押し売りディスコミュニケーション

casa_kyojin2007-10-09


■「絵文字を使わない人の言い分」に迫る(2007年09月01日)

絵文字、顔文字、どのぐらい使ってますか?
ケイタイメールの絵文字や顔文字、使ってますか?

自分などは全然使わないクチなので、友人に「冷たい」「なんで絵文字使わないの?」などと、ときどき言われる。

どうやら絵文字を使う人にとっては、使わない人というのがずいぶん奇異に思えるようだけど、自分の場合、さしたるこだわりがあるわけでもなく、単に「使い方がよくわからないから」というのが、正直な理由だ。

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僕自身、絵文字をほとんど使わないので、この記事を興味深く読んだ。

この記事の筆者は周囲の二十数人にアンケートをとって、「使わない理由」を尋ねている。

「使い方がよくわからないから」「どんなときに何を使ったらいいかわからない」といった回答があったけれど、僕もそのへんに同感だ。
正直何の絵なのかわからなかったり、わかったとしても使い方が全く見当つかないものもある。

ということはつまり、誰かの書いたメールなり日記の内容がよく理解できないこともしばしばある、ということだ。
これはなんとも虚しい……先方が通じていると思い込んでいるとしたら、なおさらだ。


それに、絵文字には「機種依存文字」という問題もある。

なので絵文字だけが文字化けするだけではなく、メール全体が宇宙語みたいになって読めなくなってしまうこともあるのだけれど、そのへんに無頓着な人は結構いる。


コミュニケーションの手段のはずのメールが、そうしてディスコミュニケーションを届けてしまうのは、なんとも悲しい。

そして、顔文字にも同じような図式がある。

全く理解できていないとも思わないけれど、ニュアンスまで汲み取れているか不安になることはしばしばだ。



そして、ディスコミュニケーションが存在してしまえば、つまりはこういうことにもなってしまう。

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救出メール、緊迫性なし判断=友人あてで「顔文字」(2006年8月6日)

大阪府茨木市のマンションで、女性会社員(24)が5カ月間監禁された事件で、女性の両親の捜索願を受けた府警堺東署が、女性が監禁直後に救出を求めたメールが友人あての上、文面に若者が好んで使う「顔文字」が使われていたため、緊迫性がないと判断していたことが6日、分かった。

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絵文字も顔文字も、AAも小文字の変体仮名も、コミュニケーションの道具としての独自性が先鋭化しすぎてしまい、排他性と、ディスコミュニケーションとは不可分の存在になってしまったということだろう。

その独自性、孤立性は、仲間内の連帯感を強め、返す刀でその輪の外にいる他者を機械的に無慈悲に排除する。
そして、輪の中の交流とシンパシーが至上命題になっている一方で、輪の外に対する排他主義と疎外には、ほとんど関心がはらわれてはいない。


とはいえ、今のご時世、絵文字や顔文字を使う人は本当に多い。
今となっては、顔文字はちょっとした言語体系の一つ。ある種の「方言」として機能しているということだろう。

絵文字や顔文字の類いを使いたがる人は、自分たちの「言語」が「通じない」という可能性に無頓着だ。

自分の故郷の言葉がテレビで聞こえてきた時に、字幕が入ることがよくある僕はフクザツな気分になる。
絵文字や顔文字だらけのメールや日記には、字幕スーパーは添えられない。


これだけたくさんの「原語」が存在している社会では、コミュニケーションツールとしての共通語は、どうしても必要な存在だ。
「ネットだから」、そんな簡単な免罪符で、どんなネットランゲージも振り回していいという法は無いだろう。

絵文字や顔文字の問題は、奇しくも「関西人と関西弁」の有り様や振る舞い方に似ている。

そしてもちろん、ネット人にしても関西人にしても、そんな人ばかりではないのだけれど。


■ギャルル「Boom Boom めッちゃマッチョ!」


変体仮名の小文字(ex. ぁぃぅぇぉ)で思い出すのは、ギャル曽根の夕刊紙の連載。
あれって、どうやって入力するんだろう?

だって、例えば「私ゎ」っての一つ出すのに、「watasixwa」の一発変換じゃ出ないから「watasi」変換+「xwa」とかやんなきゃいけない。
ギャルな人たちは単語登録でもしてるんだろうか?


……それにしても、「ギャルル」って何だったんだろう。

今となっては「ぁみみ(時東ぁみ)」と「あべべ(安倍あさみ)」は完全に「そねねギャル曽根)」の噛ませ犬じゃん。テレビはギャル曽根のピンの仕事がほとんどなんじゃないだろうか。

こんなとき「つじじ辻希美)」がいてくれ……ても、最近のハロプロの凋落ぶりを考えたらおんなじだったかなあ、とか思わないでもないのだけれど。