光の国の編集部

casa_kyojin2007-10-11


三谷幸喜が「古畑任三郎」直前に手がけた作品、病院が舞台のドラマ「振り向けば奴がいる!」を両親と一緒に見ていると、それはもう五月蝿かったものだ。

「外来の看護婦さんが術場に入ってる」「この看護婦さん連続何時間働いてる?」

……などなど。とにかく口やかましい。

やっぱり気になったのだろう、彼らは病院で職場結婚した夫婦だった。


それだもの、ドラマの題材が微妙なものの場合、もっと具体的な問題がいろいろと見えてくることもある。
豊川悦司が聾者の画家を演じた「愛していると言ってくれ」は、ドラマの内外で様々なことが取りざたされたものだ。

その放送終了から間もないころ、仕事で聾学校の美術の先生とご一緒したことがあった。聾者の彼に、僕はこんなことを尋ねた。

「『愛していると言ってくれ』は、毀誉褒貶いろいろあったけれど、先生はどう思いました?」

「いろいろな意見がありましたよね。
でも僕は、自分が美大生だったころ、実際に経験したようなエピソードがいくつも出てきましたから、ただただ当時のことが思い出されました」(拙ブログ「赦し」)

彼の言葉に僕が感じたものは、やさしさと、そして「赦し」だった。


なかなかそんなふうにはなれないけれど、僕も昨日始まった「働きマン」にはそんなふうに接する努力をしようと思う。
僕はかつて、総合週刊誌の記者だった。


第一回を見ただけで、まさに「実際に経験したようなエピソードがいくつも出て」きて、強いシンパシーを感じさせられる。

しかし、穴は多い……どころか、ありえないことばかりだ。

まず、週刊誌にしては編集部員が少なすぎるし、担当割りもアバウト過ぎる。
フリーのスタッフも、バイト君やバイトちゃんも見当たらない。
あれで毎週活版の週刊誌が出せるなら、働きマンだけではなく、セブンやタロウ、父母やキングにカプセル怪獣まで揃ったスーパー編集部だ。

もっとも、署名原稿を掲載しているのだから、「週刊新潮」ではなく、「新潮45」のようなスタイルの雑誌なのだろうか(ならば人的規模は比較的小さくて済む)

もちろん、このドラマの本質や楽しみが、そんな「穴」の存在だけでスポイルされるはずもない。これはまあ、北海道人が「北の国から」を嫌うケースと同じ類いのことだ。



気になったのはむしろ、「男スイッチはいります」といったセリフで再三強調されるこのドラマのテーゼと、アンチフェミニズム的な演出だ。

そのスイッチが入ったら仕事が「三倍速」になるそうだけれど、つまり女は「三分の一」しか仕事ができないということか。

こんなふうに性差をカリカチュアライズした語り口には、どうしてもザラついたイヤなタッチを感じてしまう。
それは僕が、セクシャルマイノリティの一部に対して持つ印象にも似ている。

例えば「性同一性障害」の人たちの中には、平等を掲げているようでいて、保守的封建的な価値観への屈服、服従としての性転換や戸籍の改正を指向している場合もあるからだ。

「男スイッチ」を入れないと仕事もできなければデートも断れない。

男や女の姿形を伴った異性愛者でなければ「五体満足」ではない。

そんな価値観は、個人の尊厳や自立を語っているようでいて、それこそが旧弊としてのシステムへの隷従そのものだろう。


正直なところ、編集部や個々の編集者の周囲に転がる「穴」は、「間違い探し」を楽しむような感覚で酒の肴にすることができる。

でも、少なくとも僕は、セックスをこういう形で扱うドラマを、娯楽として見ることはできない。
菅野美穂平山あや、伊部雅刀にマリ姐さん……と、大好きな役者がたくさん出ていただけに残念。

とても、とっても残念だった。



ところで「週刊JIDAI」という名前は、僕の処女作、あるコンクールで落選した「シナリオ」に登場する週刊誌と表記違いの同じ名前だ。

この場合、モーニング(講談社)の連載漫画に登場する週刊誌ということで、そのへんの名前に落ちついちゃう、ということなんだろう。

ちなみにそのシナリオの主人公は「週刊タイムズ」の記者。そこにライバル誌として劇中に登場するのが「週刊時代」だった。

そのシナリオ、HDDのクラッシュでとうの昔に失ってしまっていたのだけれど、先日たまたまプリントアウトしたものを書類トレイの中に発見してしまった。
これがもう……とにかくやたらめったら恥ずかしい。それこそ穴だらけだ。
でも、勢いだけはある(というのは自惚れ)

その後どうにかこうにか「担当編集者付き」くらいにはなれたのは、やっぱり何本も書いたから、ただそれだけのことなんだろう。

ちょっと書き直してみようかな、とか思った。


■働きマン 第一巻


「そのへん」は原作の方ではどうなっているんだろう。「さくらん」から一転して絵を含む作品全体に違和感を感じていたので、実はただの一ページも読んだことがなかった。


■美人画報ハイパー


そして、安野モヨコその人は「美人画報」トリロジーな人なわけだから、そういうジェンダーの“微妙なところ”は充分にわかりきっているような気がしないでもない。

となるとその図式は「宮崎駿」的ですらある。

宮崎は「うちの子供は一日中トトロのビデオを見てるんです」という母親の言葉を「そんなことさせるなんて何を考えてるんだ」とバッサリやっちゃうような“確信犯”だ。
彼の作品を取り巻く問題は、宮崎アニメはやさしさがいっぱいで、子供に安心して見せられる──そんなカン違いを振り回している知識と感受性に欠ける親たちにこそ存在するのであって、ロリコンじじいそのものには存在していない。

奇しくも、弟子筋? の安野夫(庵野秀明)がエヴァンゲリオンでやっていることにも似ているのかもしれない。
オタク男爵みたいに振る舞ってるようでいて、実は彼もキャバクラが大好きで……みたいな話を聞いたことがある(そういえばこのドラマ、エロ男爵沢村一樹)も出てますね)



■監督不行届


僕は「監督不行届」の“ロンパース”は大好きだけれど、よりによって叶姉妹を持ち上げちゃう(持ち上げざるを得ない?)このシリーズや、美人画法的世界そのものがピンとこない。
もしかしたら、安野作品自体がダメなのかもしれない。