岩手スノボ旅行記 4
あっというまにスノボ合宿最後の日がやって来た。
天気は曇り。今日も安比へ。
窓の外に見える安比は、雪雲がかかっているように見える。
東京から鈴鹿サーキットまで歩いて行く、なんて無茶な「お遍路」をした人は「必要な筋肉は3日もあればついてしまう」と言っていた。
僕の運動不足の身体にも、この3日で多少は筋肉がついてくれたようだけれど、4日目ともなると、さすがに疲労がピークになっているようだ。今日はおさえめにしておこう。
麓につくと、結構な雪。空も暗い。気温も低いので、ますますおさえめに滑る。
高速ターンはイキオイでできてしまうとして、細かいターン(スキーでいうところのウェーデルン?)をモノにしておこうと、緩斜面でくりかえし練習。
やっぱり疲れているようで、ヒザ下のおさえがきかず、何もないところで転んだりする。
17時もすぎると真っ暗。
「あと二本くらいかな」というあたりで「心残り」にならないように、一度も行かなかった上級コースと、圧雪車が入っていないリフト下に入ってみた。
上級コースはさすがにギャップが多く、予想外のうねりに翻弄される。
斜面からのキックバックをヒザ下で「いなす」必要があるのに、もう押さえがきかないほど疲れている。
一方、深雪の斜面はとても滑りやすくて驚いた。
スキーだと深雪はどうにも自由がきかないものだけれど、ボードは面白いくらいにフワフワの雪の上を滑れるし、面白いくらいにエッジが入る。
もう一回……とか思ったあたりで、パトロールがスノーモビルで回ってきた(一応滑走禁止エリアなのでしかたない)
ブーツを脱いだ後、一番驚いたのは、筋肉痛<疲労、なんてことよりも「足ヤセ」
ヒモがゆるむとコントロールしにくいなぁ……と思っていたら、どうも足の幅が初日よりも大幅に細くなっているようだ。
運動不足どころか不健康すぎてよほどむくんでいたんだろう。
ゲレンデを引き上げてまた黒石温泉へ。
初日のように、浴場に一歩踏み出したところでまた滑る。が、それを見越して扉をしっかりつかんでおいた。
洗い場のおじいちゃんと目があって、ニカッとされる。目撃されていたのか……うーん、バツが悪い。
4〜5人前というセットを、10人で4枚あけて、その上全員が冷麺を食べる。
「別辛」の薬味(別添のキムチで辛さを調整するスタイル)が、魚介系の旨味がタップリでめちゃめちゃおいしい。これだけでご飯が何杯もいけそう。
この晩ご飯からOくんの妹が合流。彼等は実家(盛岡の近くらしい)から翌日もスノボに出かける予定。
19歳という年令を聞いて、LくんPくんの高校教師コンビは「それじゃあ生徒だよー」と、なぜか落胆していた(多分キカイダーの良心回路みたいなものが強制起動しちゃうんだろう)
その妹君は、ある名門系列の女子高の出身で、その大元の東京の高校はお嬢様学校として知られている。
「制服は一緒だから上野あたりに持ってったら軽く10万くらいにはなるんじゃない?」
「そうなんですよー」
「で、東京の制服だ、って言うんだよね」
「なんでそんなことまで知ってるんですか?」
ヤブヘビになりそうなので(ウソ)その話題はそのへんにしておく。
明日は夜明け前に東京に出発。
酒盛りも、ウノも無しで静かな夜を過ごす。
明日は4時起きで5時には出る。何もかもが終わり、何もかもが回復できないほど元に戻ってしまうような気持ちになる。
僕にとっての2003年という年は、今まで通過したことしかなかった岩手に、一年に二度も出かけたという、ある種のエポックになった。
もちろん一番のエポックは、そんな遠くにいる友だちのところに「遊びに行く」ということだったけれど。
そもそもこの“合宿”。友だちのQさんが岩手のMさんのところに嫁いでいったことがきっかけだった。
結婚式は6月。して今は立派な妊婦になっているんだから時間の経つのは早いもんだ。
一昨年のシーズン。Qさんがグループで同窓生のNくんのところにスノボに行ったことがきっかけで、Nくんのお兄さん(Mさん)と結婚しちゃったんだから、人間の運命もわからない。
この合宿のメンバーにも、この三年間いろいろなことがあったわけだけれど、Qさんほどの“激動”はそうそうなかっただろう。
それにしても──おなかに赤ちゃんのいる女の人っていうのは、つくづく幸せそうに見えるなあ、なんて思った。
写真は、泊めてくれたホストファミリーのMさんが、ナイトキャップに出してくれた秘蔵の日本酒。
「N(彼の弟)に見つかったら全部飲まれてしまうからなぁ」
岩手の地酒「桜顔」