PCの中にある差別 1

casa_kyojin2004-02-01


先日、はてなキーワードの「山咲トオル」の説明文「オカマのようでオカマじゃない」を、「オネエのようでオネエじゃない」と修正しました。

そういうのはオマエが目くじらを立てる「言葉狩り」じゃないのか? ……なんて指摘もあるかもしれません。

しかし、こと「オカマ」に関する限り「PC的な言い換え」や「言葉狩り」とは違う状況がある、ということについて書きます(長いので何度かに分けてアップします)


「オカマ」という言葉がイメージさせるものは一つではありません。
例えば、ゲイの人をそう呼ぶこともあるかもしれないし、性同一性障害で男性から女性に性転換した人をそう呼ぶかもしれない。

おすぎやピーコは、テレビなどで自分たちのことを「オカマ」と自称しているので、漠然と「ああいう人」のことを「オカマ」とイメージしている人もいるかもしれません。

「オカマ」という言葉が差別的・侮蔑的に使われることはもちろんあります。
その場合、「男性同性愛や性転換者は差別の対象」と考える人にとって、差別は言葉そのものにではなく、言葉を発した人の内部にこそあるはずです。

しかし、この「オカマ」という言葉には、もう少し込み入った事情があります。
この言葉は「女装の男娼」を指すことがあるからです。また、本来そういった男娼を指す言葉が「オカマ」だった、という説もあります。

だから、女装している、あるいは性転換した(したい)男性にとって、この言葉はとても屈辱的なものです。
そのへんから「ニューハーフ」という言葉が出てきた(使われている)、という経緯もあったりします。


というわけで、売春をしている犯罪者を指す言葉が、男性同性愛者や女装者全般に使われてしまったら、それは差別・侮蔑を通り越した、明らかな中傷です。
つまり、「オカマ」という言葉をホモセクシャルやゲイ的なもの、ゲイカルチャー全般を対象に使うのは差別云々以前の問題として、誤用ですらあります。


「オカマ」がいわゆる「放送禁止用語」なのかどうかについては、資料にあたったことがないのでわかりません。
しかし、もしそうだったとして、例えば、おすぎさんやピーコさんが使うのがオッケーなのかというと、それは「自称」しているから、ということになります。

「百姓」、「八百屋」、「床屋」、これらは放送での仕様がNGとされているところが多い言葉です。
しかし、自称ならオッケー、という曖昧な規準で運用されているのです(この項続く。次回はメディアにおけるPCという「欺瞞」について)

こういったPCに一番熱心なのがNHK

例えば、バブルガムブラザーズの「WON'T BE LONG 」は放送禁止。
あと、差別語からはズレるけど、ウルフルズの「ガッツだぜ!!」とか奥村チヨの「恋の奴隷」も。

写真は「アタック・ナンバーハーフ
いろんな意味でスマートで、よくできている邦題だと思った。


■アタック・ナンバーハーフ(DVD)


──街を眺めると、BSE騒動で鮮魚コーナーは売り切れだらけ、牛や鳥は……というか肉コーナー全般がだぶつき気味。

過剰に反応し過ぎで、そのくせ本質的なことには昔も今も頓着してない。
そんな「ブーム」がまたくり返されてる。

空気としてのPCや言葉狩りにも、それと同じような“うわっつら”だけのムードがあるような気がする。