アルテピアッツァ美唄

casa_kyojin2004-09-05


安田侃(やすだ・かん)という彫刻家がいる。
ちょっとユニークな経歴を持った人だ。
彫刻家の修行のためにイタリアに渡る……という人は今でも少なからずいるだろうけれど、生活費のためにプロ野球セリエAに所属していたことがある、だなんて人はそういないだろう。

彼の作品が初めて美唄市に設置されたのは、僕がまだ小学生の頃だった。
今でこそ、その巨大な彫刻「炭山の碑(やまのひ)」の持つ端正な姿や、フォルムに込められたアイロニーにはゾクリとさせられてしまうのだけれど、年端もいかない子供には全く理解できなかった……というか「何も感じなかった」という方が実際に近かったかもしれない。

なので、10年以上たって彼の彫刻を中心に据えたアートスペースが建設されたというニュースを聞いたときも、全く関心を持てなかった、というのが正直なところだった。1992年のことだ。

その夏にオープンした「アルテピアッツァ美唄」は、当初は廃校になった小学校の体育館を改装し、安田侃の作品を設置。ギャラリー・兼ホールのような形で運営を始めた。

僕が初めてそこを訪問したのは2001年のことだった。1997年には整備が終わっている予定だったので、ひとまずの完成型ということになる。

まずは「よく整備されているな」という印象を持った。

抽象彫刻がゆったりと屋内外に展示されている様子は、美術館のようなかたくるしさや、画廊のようなスノビッシュな雰囲気とは無縁の、自然やゆっくり流れる時間と奇妙な調和を見せている。
しかし、作品点数がそう多いわけでもなく、その後東京都庭園美術館で観た安田侃の特別展の方が、屋内外の展示共に充実している印象を持ったぐらいだった。



さて、3年ぶりの再訪。

驚いた。とんでもなく驚いた。


9000坪以上の敷地には、数がぐんと増えた抽象彫刻が要石のように点在し、笹原や山の斜面といった未整備だったエリアがどんどん展示空間として姿を変えている。
訪れたこの日にも、設置されて間もない彫刻があった。熊笹を刈り取ったばかりの土は、まだフカフカしていたくらいだ。

どうやら、97年完成というのはある段階の区切りに過ぎなかっただったようだ。

施設概要は前掲のリンクからホームページを見てもらうにしても、あの空間を文章や写真、ビデオで伝えるのは難しい。あの空間と時間を体感するためには、自らの五体と五感を投げ出すしかないだろう。

例えば、この空間には「正面」とか「入り口」といった概念が存在しない。
ある意味で現実世界の秩序とか、常識といった既成概念を超えたところにあると考えてもらっていい。

門のようなフォルムの作品が、道路に面した敷地の角にたっていたり、銘を打った門標のようなオブジェもあるけれど、プロムナードは便宜上にしか設置されていない(作品と人を隔てる柵や、「芝生に入らないでください」の掲示といった無粋なものは、あたりまえのように一切無い)
作品が芝生の上に散文のように点在しているからとか、そういう問題ではなく、通路といった二次元の存在が許されていない……そんな空間だと言ってもいいと思う。


多分、この空間、アルテピアッツァの「入り口」は別の所にある。

安田侃の作品には、門状の作品や、人が通れるような穴の空いているものが多い。そして、それこそが「入り口」なのだ。そして、出口もまたここには存在しない。
そこをくぐり抜けた人は、もう別のところに通り抜けてしまって、もう元来た所には戻れなくなってしまうのだ。
アルテピアッツァ美唄とは、それ自体が異空間で、訪れる人が現世から異世界に出入りできる境界物件を散りばめた「場」だった(実際、“ピラミッド”だってここにはあるくらいなのだから)


惜しむらくは、これだけの空間が、北海道の片田舎の誰も知らないような場所に、エアポケットのように存在してしまっていることだ。

札幌からじつに中途半端な距離にある、個性も没個性もなにも無いような中途半端な美唄という小さな街。
“本家”の旭川よりも余程「作り損ねた落とし穴」のように存在感の無い小さな街

だからこそ──アルテピアッツアという絶対的な異空間は、じつにそれ自体、何かの間違いであるかのように圧倒的に存在している。



行政としては、美唄そのもののPRや、来場者による経済効果を期待している節が多々あるようだけれど、直接的形而下的な効果はそうそうあるものではないだろう。

ここが機能するときがあるとしたら、これを「当たり前の空間」として育った子供たちが、ここに繰り広げられている形而上の「真実」とか「真理」といったものの実感を、自分自身の「財産」として昇華できるそのとき、彼等それぞれにやってくるかもしれない未来においてではないだろうか。

それはもちろん、彫刻家が輩出されるとか、そういう現世利益としてではない。
あの「世界の秘密」に満ちあふれた空間から感じたもの、受け取ったものを、自分の人生の中に織り込めたそのとき、人はもう一つの「門」をくぐることができる。そんな気がする。


僕は中学までしか美唄に住んでいなかったので、この街との縁はひどく薄かったと言ってもいい。それに、遠く離れたところから振り返る故郷は、あらゆるものに埋没してしまっていて、全くその存在を実感できなかったような気さえするくらいだ。

でも、今はアルテピアッツァがある。
形而上の故郷というか、抽象的な拠り所──まさに出入り口の「門」としてのアルテピアッツアから射し込む光を、これからはいつも受け止めることができるだろう。



アーティストが作品の提供だけではなく、グラウンドデザインまで手がけた空間となると、イサム・ノグチの晩年の作品、札幌のモエレ沼公園がある。
規模からいうと、アルテピアッツァ美唄はまるで太刀打ちできない。
しかし、その空間が未完成で胎動を続けていること、それを作者その人が見守り続けていること、という点では現在進行形のこちらにアドバンテージがある。
安田侃その人が手を加え続けていることで、アルテピアッツアは今と未来をつなぐ境界にもなっているのだ。

残念だけれど、モエレ沼公園は最後の最後のところでノグチその人を亡くしてしまった。
しかし、彼の死によってその壮大な空間が、現在と過去を結びつけ続ける祝祭の場となった、と捉えることもできるだろう。

芸術家という存在は、つくづく不思議なものだと感じるのはそのへんに対してだ。
やはり彼等は一種のシャーマンなのかもしれない。

※東京でも近々作品展が開催される模様。

 21世紀へのオマージュ 安田侃の世界展
 9月21日〜10月4日:日本橋三越本店6階アートフロア



「アルテピアッツァ美唄」


「また来ます。」