「バレエ・カンパニー」★3/5
原題どおりの「The Company」という映画ではあっても邦題のような「バレエ・カンパニー」という映画ではなかったようだ。
バレエ界の内幕物と考えたときには萩尾望都のバレエ漫画の方が一枚も二枚も上手だったかもしれない。
萩尾漫画では「そこまでエグく描写しちゃうか!」と感心させられたが、この映画ではむしろ「そんなもんじゃないよ」とツッコミたくなるところも多い。
バレエ界の内幕ものとして、バレエ団の空気や、バレエ的感覚に突っ込みきれていない。
そのうえ、あまりにもアメリカンなバレエ団であるジョフリー・バレエが題材だったことも、「ガッカリ」の一因にもなっているだろう。
劇中に登場する作品の内容(というか傾向)はアメリカン・バレエということで最初からわかっていたのだけれど、それにしても、例えば登場する衣装はなんだかちぐはぐで貧相だ。
日本でもバレエ団によっては、公演の度にイギリスやフランスから衣装さんを呼ぶことがある、という理由がやっとわかった。
さて、物語の細部に触れると、アキレス腱断裂事件をひどく淡々としたトーンで書いてみたり、子供の待遇に血眼になっている勘違いオヤジがいたりといったあたりは、バレエというバックグラウンドをよく料理しているな、という印象もある。
しかし、とうとうヒロイン自身がアクシデントで怪我をしてしまうラストシーンで、彼女が自分のミスに対してヘラヘラ笑っていることに強い違和感を感じた。
アルトマン的展開だといえばたしかにそうなのだけれど、それは彼的な物語術であって、バレエ的ではないだろう。
とにもかくにも、そのようにバレエを自分の土俵に力業で持っていってしまったアルトマンという人が、いかに老獪だったか、ということなのだと思う。
彼自身がバレエに対して造詣が深いとはとても思えない。
だからこそ、限られた時間とデータ、リサーチでここまでの映画にしてしまう彼の力量、職人芸は、それ自体やはり素晴らしい。
もしオペラ座(『エトワール』)を、ベジャール(『 ベジャール、バレエ、リュミエール』)をアルトマンが撮っていたら……これはとんでもないものができたのではないだろうか。そう思わせる“何か”は確かにあった。
well done なリサーチの賜物だろう、といった感じのディテールをいくつかとりあげてみよう。
まずは、同僚の結婚パーティーでレストランでバカ騒ぎしているバレリーナたち。そのへんがまずプラクティカルにバレエ的だ。
バレエダンサーは節制しているから、酒も煙草も大食いもしないと思っているバレエ「ファン」はただの半可通でしかない。
そんなヒロインのライ(ネーブ・キャンベル)がバーで飲んでいるビールは「バドライト」
ここでは人前でバドを飲むような人間がバレエをやっている、という構造的事実がグサっと突きつけられる。
ビールの銘柄一つで、ウェイトレスのアルバイトをしながらレッスンに通っている、というバックグラウンド以上に、ライのポジションが鋭く、容赦なく描写されている。
そしてそのとき、ジョシュ(ジェームズ・フランコ)は「サミュエル・アダムズ」を飲んでいる。これは、彼は一応はコックだし、ホレた女の前だし……といったあたりのさじ加減なんだろう。
それから、あえていうなら、ジョシュがバレエ中心に生活しているライと徐々にすれ違っていくあたりは、ダンサーと、不幸にも彼らに関わってしまった門外漢に日々起こっていることだったりもする。それでもやっぱりライは嬉しいんですね、ジョシュが公演を見に来てくれたら。
そんなところやあんなところが妙に良くできているところも、この映画の不思議な、ちぐはぐなところでもあった。
この映画を観に行った映画館は、週末ということで、映画館にはバレエ少女をつれたお母さんがとても多かった。
さてこの映画、アメリカ本国でのレイティングは「R指定」。アピールしてなんとか「PG-13」にマケてもらった、なんて映画だ。日本のお母さんたちはなんて無頓着なのだろう(不思議なことに、日本では無印! だったにしても)
アメリカでレイティングの対象になった理由は "strong language, some nudity and sexual content"
でも、ひどいののしり文句も、バックステージや舞台袖でポンポン裸になることも、あからさまなセクシャルな事件や関係性も、ある程度のカンパニー(バレエ団)で踊ってる子供たちなら見慣れている、経験しておる日常風景だ。
バックステージはバレエの鉄火場。全裸にタオルやローブだけ、なんて姿は普通の風景で、誰もそんなものに注意を払わない。
それに小学校高学年くらいの女の子だったら、舞台衣装を脱いだレオタード姿や、シャワーを浴びた後のノーブラTシャツ姿で教師や男性ダンサーの周りをうろうろして「アピール」してることも珍しくない。
それに「トゥシューズにピン」なんてカリカチュアされるようなせめぎあいなんて、いくらでもある。
こうしてあらためて考えてみると、「R指定」にされるべきはバレエの世界そのものだと思う。
これがカルチャースクールの発表会となると、バックステージが妙にきちんとしているから、かえって居心地が悪くなってしまう。
大人からレッスンを始めたような人にはレオタードを着ること自体を恥ずかしがったり、かたくなにレオタードの下にインナーをつけたがる人がいるけど、その方がよっぽど「恥ずかしい」っていうバレエ的感覚は、なかなか理解できない人もいる。
そして、上手になる人は往々にして初心者のときからレオタード一枚でスマートにやってる、なんてのがまたバレエという芸術のとんがってて、そして残酷なところだと、つくづく思う。