赦し
コウちゃん見て、「あー、喋れるんだー!」って思ったりしました(「オレンジデイズ」公式HPより・北川悦吏子のコメント)
結局の所、北川悦吏子(写真)が知らん顔で「普通」という言葉を振り回し続けること(拙blog「差別者再び」)ができるのは、彼女が無恥で無神経だからなんだろう。
そういったキチガイ刃物な状態に、何のチェックも働かないテレビの世界というのは、なんとメディアとして無責任なんだろう。
テレビ屋のプロフェッショナリズムというのは、その程度のものなんだろうか。
例えばこれが文字メディアだったとして、僕の知る限りのプロフェッショナルな編集者だったら、北川が再三使いたがる「普通」や、この「喋れるんだー」のような無神経で無配慮な発言。
ましてや「(「愛していると言ってくれ」の)榊晃次はろうあ者」といった事実誤認、中傷(拙blog「PCの中にある差別 3」)を、決して見過ごすことはないだろう。
どれだけテレビ屋がPCを振り回して、「唖(おし)」だの「聾(つんぼ)」だのといった文字や言葉を追い出したところで、北川のような無神経な作り手を野放図に使いっぱなしにしているのでは、何も変わらない
でも、こんなところで半可通が騒ぎ立てていること自体が、無意味で無神経なのかもしれない。
「愛していると言ってくれ」が放送されてからまだ間もないころ、仕事で数人の聾学校の先生とご一緒したことがあった。
そのとき、ろう者の美術の先生とこんなやりとりをしたのを覚えている。
「ドラマの『愛していると言ってくれ』は、毀誉褒貶いろいろありましたけれど、先生はどんな印象を持たれましたか?」
「いろいろな意見があったことはわかります。でも、僕は自分が美大に通っていたころ、実際に経験したようなエピソードがいくつも出てきましたから、ただただその頃のことを思い出してしまいました」
ノーマライゼーションなどとお題目を掲げてみたところで、結局のところはこういった「赦し」に支えられているだけなんじゃないのか? 色々と考えてみたところで、それは空念仏になっていないだろうか?
そんなことを考えさせられた瞬間だった。
手話学習が中途半端なままなことが、今さらながら情けない。ぜひ機会を見つけて、もっと勉強したいと思っている。
今さら思うのは、それでもなんでも「愛していると言ってくれ」や「ビューティフルライフ」はドラマそのものが魅力的だったんだな、ということ。
「オレンジデイズ」が20%に迫る視聴率を上げられることが、正直いってよくわからない。もっとも、使い捨てまでするような“豪華”なキャスティングをしていること自体、数字だけを遮二無二とりにきたドラマなのかな、とも思う。
僕が北川作品で好きなのは、やっぱり「ロングバケーション」、それから「ラブストーリー」
北川は、良くも悪くもこういったイノセンスなラブストーリーを書いていた方がハマる人だと思う。