「Wの悲劇」★★★☆☆ (1984/日)
構造的アイドル映画をそのまま「女優の成長物語」にシフトさせ、ピッタリはめ込んでしまったパッケージと演出の大成功。
そもそも夏樹静子の「Wの悲劇」が原作のハズなのに、その小説の映画化でもなんでもないという、徹底したパラレルワールド。
舞台を土台から屋根まで徹底的に作り込んでいったことが、クルっとヒネった面白さに。
こんなにカリカチュアライズされた映画もない──と言ってしまうのは簡単。
しかし、それだけではないところが、面白い。
それこそ、三田佳子の「私、女優よ!」を筆頭に、高木美保の「イジワル女」、世良正則のなんともVシネっぽい演技……なんてあたりは、今となって、ちょっとした“予言”めいていた?
そして、世界の蜷川幸雄の「コワもて演出家」や、カメオというにはあまりに“豪華”な、梨元勝などなどの「芸能レポーター」たち。
こうなると、キャスティングも、カリカチュアもヒョイヒョイ通り越した「マンガ」そのものになっていたのかもしれない。
でも──この映画はとにかく薬師丸ひろ子なんです。
それまで、「戦国自衛隊」を筆頭に、角川映画的人寄せパンダに使い続けられ、「探偵物語」ですこしは女優扱いしてもらえたと思ったら、「里見八犬伝」では一転、アイドル映画のためのアイドルとしてまたパンダにさせられてしまった(しかもあんな中途半端なラブ・シーンまで使って!)
『メインテーマ』でも角川的男パンダ・野村宏伸につき合わされてドンガラガッシャ〜ンとまた地の底まで落っことされてしまう。
角川的拡大生産・大量消費が本当に恐ろしいのはそのへんです。
その次に、彼女自身の成長とシンクロするような形のこの映画に(この演出で)出演できたことが、彼女にとってどれだけの幸せだったか……なんてことをファンは勝手に思ったりしていたわけです。
記者会見に臨む静香(薬師丸ひろ子)。彼女の心臓のドキドキ、シミュレーション、そして自分で出す「キュー」……スクリーンにググっと前のめりになっていた観客は、自分のことのようにハラハラしながら彼女を見つめ、そして「女優・静香(ひろ子)」の演技と涙にドーン! と突き放されてしまう。
今や、誰でもない、彼女こそが「女優」なんだと。
つまり、あの記者会見の場面で、“全て”はもう語りつくされていたのかもしれないわけです。
そして、ラストシーンは来ます。
静香が昭夫(世良正則)に見せるレベランス。永遠の別れを告げられているのは昭夫であり、そして観客でもあったわけです。
そうして、この映画が、薬師丸ひろ子による「薬師丸ひろ子映画」としての代表作になりました。
そして……今に至るまで彼女の浮上はないと言ってもいいでしょう(もちろん結婚から離婚までの様々なスキャンダルも足を引っ張ったにしても)
「セーラー服と機関銃」のヘソチラをリアルタイムで経験した世代にとって、この映画を再見すると色々、色々と考えてしまうことがあるのは、そんなことや、あんなことのせいです。
だって……彼女は本当にかわいらしかったのですから。
そんな、遠い目をさせてくれる映画です。
当時、この映画の特集をしていた角川出版の雑誌「バラエティ」を持っていたんですが、今さら読んでみたくなります。
もうすぐ四半世紀かあ……。