映画「ブラックホーク・ダウン」それから

上掲の「ブラックホーク・ダウン」についての文章に、匿名コメントで指弾を受けた。

この指弾が中傷であるかどうかの認識については、立ち位置によって位相が異なるかもしれないが、誹謗であることには疑問がなく、発展的議論への昇華が考えにくいことからも、正面からの対応はできない。


しかし、今回の指摘により、当方の記述に不足や誤解を招きかねない不十分な点があったことが明らかになった部分もあったので、その点を中心に書くことにした。



> 結果的にソマリアに内戦をもたらし、助長したのはどこの誰なのか。

指弾の一つの対象になった当方のこの記述については、そこに無用な拡大を持ち込み、助長したのがアメリカだ、と書きたかったものだが、散漫になっていたので書き直した。

同様に、ソマリア内線の誘因として冷戦時代に東西双方がアフリカ諸国にもたらした武器の存在を指摘する向きもあったが、そこまで拡大した捉え方をするつもりもない。


当方が指摘したかったのは、あくまでもソマリア内戦にアメリカを中心とする国連軍が介入したことによって、その介入自体がソマリア武装勢力対国連軍という対立構造を呼び、仲裁仲介に入ったことが全く逆に作用したことだからだ。


当方と同趣旨のテキストには、以下のようなものがある。

■NHKスペシャル公式ホームページ

この行動は、一定の成果をあげたもののソマリア当事者の反発を買い、派遣兵士に犠牲者が出た。事態は、国連平和維持軍と現地武装勢力の戦争状態になり、1994年2月、安保理は強制行動を停止、「人道的介入」は失敗に終わった。


■田中宇の国際ニュース解説

ソマリア戦争では、アメリカは最初ソマリア内戦を仲裁する人道目的で介入したが、その後の米軍は、反米的な態度を打ち出していたアイディード将軍の派閥を壊滅させることだけを目的にするようになり、アメリカ兵を市街地での危険な戦闘行為に駆り立てた結果、市街戦でアメリカ兵が残虐に殺された後の光景がテレビを通じてアメリカのお茶の間に流れて米国内の反戦ムードをあおり、当時のクリントン政権ソマリア撤退を余儀なくされた。

次に、以下の指弾について、当方の見解を記しておく。


>> イスラエルパレスチナと同じに考えてしまう単純(しかも間違っている)

ジェニンでの民間人虐殺がニュースになっていた当時、あの映画についてああいった論調の批評をしたのは、共通の構造を感じたことによる。
それは、国権・国益の発動である戦争を、その一方の当事者からだけ描写、表現した時に、それがどういった「プロパガンダ」になりうるのか、ということだ。

民間人虐殺を伴う軍事作戦を「オペレーション」「キャンペーン」といった言葉でかたずけてしまう欺瞞と、内戦介入の失敗とそれに起因する様々な論議を「友愛」基調のプロパガンダで粉飾しようとする手法を「構造的に同じ」としたものであり、ソマリアパレスチナの類似や相違という問題ではない。


>> イラクベトナムソマリアイスラエルパレスチナ朝鮮戦争も太平洋戦争でも(略)全部同じなんでしょう。

第二次世界大戦戦争にも、朝鮮戦争にも、国策映画のようなものもあれば内省的なものもあったし、それはベトナム戦争についても同様だ

一部報道では、現在ハリウッドではハリソン・フォードが出演するイラク戦争を題材にした映画が制作中だという。
「テロリスト掃討戦」「民間人も攻撃の対象に」とアメリカ軍とイラク市民の主張が真っ向から対立しているファルージャ包囲戦を題材に、その作戦の指揮を執った将軍をハリソン・フォードが演じるとのことだが、この映画がその「どちら」になるのかはわからない。

もしそこに、欺瞞や粉飾を感じたとしたら、それがイラクだろうと、ベトナムソマリアイスラエルだろうと、同じ視点からの疑問を持つ、という話であって、個々の戦争の持つ相似や相違は問題にしていない。


>>「黒人兵が(同じ黒人である)」は、完全に中学生並みの発想です。色が黒いから「同じ黒人」なんて常識外れも甚だしい


それではPC的表現を使ってみよう。問題はよりシンプルになる。

PCで「黒人」は「アフリカ系アメリカ人」に置き換えられるのだから、これは「ルーツ」の問題であり、製作者がそこにどんな演出意図を込めているのかという問題になる。

>> あのシーンは黒人かどうかは関係なく、一兵士の行動であり、撃ってないならともかくその後すぐに射殺しています。銃を持ち上げる市民とそれに対してどういう葛藤が生まれるかを描いているのでしょう。

それでは、あの兵士はなぜ「アフリカ系アメリカ人」でなければならなかったのか。

人種的、ルーツ的な葛藤を感じた観客が「間違って」いるとしたならば、製作者はなぜその可能性を排除しようとしなかったのか。

ここにおいて、まさに演出意図そのものだったのではないか、と当方は考えている。



また、「匿名コメントには対応しない」と明記しているにも関わらず、荒らしを伴うコメントがつけられたのは非常に遺憾だ。


> なぜ削除されるのかがよく分かりません。何か荒らし行為でもしてますでしょうか?

まず、対応しないとしている「匿名コメント」であること。

次に、当方の削除から分単位での再掲を五回にわたって繰り返すやり方は、いわゆる「上げ行為」としての「荒らし」でしかない。


> この文章は削除せずに残しておいて下さい。一部だけの抜粋になると文脈を変えられてしまうかもしれないので

ならば、自身のサイトやblogにアップするべきだろう。

このblogは、第三者の長文のアップを維持するためのスペースや、それを管理するためのコストを用意していない。


> 対立構造を呼んだのは国連のせいだと言ってますが、何十万人もの同じソマリア人を死に追い込み、PKFに対して攻撃を加えてパキスタン兵二十数名を虐殺するなどしたアイディード将軍とその武装勢力についてはどうなんですか?

和平のための仲介、仲裁に入るPKFとして、国連軍が適切な方法をとらなかったことで、その「対立構造」が生じたことを指している。

もちろん、根本的なところには内戦そのものの存在があり、その当事者の行為は当然糾弾されるべきだ。
しかし、その仲裁・仲介に対して効果的な方策をとらなかったことは、それ自体また別なものとして批判されなくてはいけない。


ベトナム戦争ソマリア国連平和維持活動を同じ前提で喋っておかしいと思わないのか。イラク戦争と太平洋戦争を同じ前提で語って何か意味があるのか。

この文章では、アメリカが自国の戦争行為においては、時代も背景も全く異なる状況で、メディアが戦略的戦術的に全く同じ構造のプロパガンダを行なうことについて書いたものであり、問題にしているのは、異なる位相の現場で同じことをやり続けていることだ。



アメリカに尻尾を振りたがる保守派の浅ましさを上げ連ねていってもキリが無いが、ここまで破廉恥だとこちらまで恥ずかしくなってしまった。