賊軍の末裔

casa_kyojin2005-05-23


飯田橋で打ち合わせ。

パンフレットの推薦コメントや、スタッフそのものが天下り官僚と国会議員だらけのアヤシイNPOの事務所に出かけてきたけれど、ビジネスモデルとしてはおよそインチキ。
いくら仕事とはいえ積極的に関わりたくなんかないもんだ(……とか思っていたのがそのまま顔に出たのか、結局この話は流れた)


近くまで来たからと思って、靖国神社の資料館「遊就館」に足を伸ばす。
零戦はもとより、彗星艦爆や桜花まで展示してあるのは驚いた。

ただ、戦車や火砲の類いは保存状態が悪い。ペンキがごってりと厚盛りで、本当に実物? と見えなくもないような状態なのが残念だった。

小火器も手入れが悪く、パサパサのカサカサ。
動態保存が無理なのも、法や社会情勢の兼ね合いなのだろうか。

船の科学館二式大艇のように、手を付けられなくなってからでは遅いのだけれど……。


展示物を眺めていると、精神論としてのプロパガンダには熱心だけれど、歴史的事実とか、産業、工業資料としての兵器には、あまり関心がないように見えた。


さて、そういった「大物」はさておき、展示内容については、靖国自体が戊辰戦争の明治政権側の戦死者慰霊のため、政治的に建立されたということで、江戸から明治にかけての記述はバイアスがかかっているようにも見えた。

なので、誰それの佩刀としてでもなく、単なる「日本刀」の一例として展示されているのが「村正」だったりすると、余計に勘ぐってしまう。


とどのつまり、戦争に負けるというのはそういうことなのだろう。
なんともすっきりしない心持ちのまま、お参りはしないで帰った。

──僕の祖先は、戊辰戦争の負け組として参戦したほうだ。

なので、戊辰戦争大東亜戦争も、何もかも全部一緒になっていると、どうにも困ってしまうのだ。



帰路、大鳥居の下をくぐるとき、ふと足を止めふり向き、正殿を望む。
最敬礼。今日はこれで許してください。


参道にそびえる大村益次郎銅像の下で、若いカップルが「これなんて読むの? ……えきじろう???」とか言っていた。

そのくらいでいられるほうが、よっぽど穏やかでいられるんだろうな、と思った。


■岡本喜八監督「吶喊」公開時ポスター

戊辰戦争の東北の戦いが登場するこの映画。
高橋悦史演じる仙台藩士が率いる“烏隊”の戦闘服は、宿場の女郎たちの針仕事で急ごしらえしたもの──という描写がある。

まさに、僕の祖母が、彼女の祖母から聞いた話だ。

東北に攻め上がってきた“官軍”は、女を犯し、少年兵の性器を切り取る(これもこの映画に登場する)といった残虐行為を繰り返した。
高祖母の村の女性たちは、蔵に隠れて難を逃れたという。