押し売りイノセンス

casa_kyojin2005-06-30


バトン」のことを考える。
佐藤琢磨が結果(&身長)でどうしてもかなわないバトンではくて、Musical Batonとかの話。

あるblogで、バトンについてネガティブな捉え方のものがあって、そこにちょっとコメントをつけのだけれど、そのときいろいろと考えた。


あれはやっぱり「チェーンメール」でしょう。


たしかに、バトンは、同じ文面を大量にバラまかせようというものではない。
個別に項目の内容が変わるので、一見チェーンメールではないように見える。しかし、相手に何らかの行為を強いる形で「パッケージをネズミ算的に増殖させる」という構造は、チェーンメール以外の何ものでもない。


さらに、善意を下敷きにしているように「見える」から余計タチが悪い。

これは「不幸の手紙」が、名前だけを「天使の手紙」に変えたのと同じようなものだし、日本医科大学付属多摩永山病院の手術用血液の話がチェーンメールになったような例と同じだろう。
問題は、根本にあるのが善意か悪意か、なんてとこには無い。他者と回線に負荷を強いるスパムをバラまいてること自体が、反社会的行為だということに、問題がある。


はてなキーワードの「Baton」に書かれている文章が、図らずも本質を射抜いていた。
「回したくなければ(回す相手がいなければ)止めてもよし。他の誰かが勝手に回してくれてます」
音楽なり何なり、そのテーマで「リンクすること」が目的だと言うのなら、そんなことが言えるだろうか。
結局はより効率的に「累乗的に回すこと」が目的になっているだけだろう。


少し前に流行った「○○に100の質問」だとか「○○経験値」というのも思い出したけれど、それは答える方が自発的に選択できるものだ。

ところが、バトンは相手に回答を「促す」。その発端が善意であれなんであれ「強要」する。
相手に不本意な行為を強いてしまった場合は、まさに不幸の手紙的になる。

そもそも、三倍返しならぬ「五倍回し」というやり口自体が「強迫神経症」っぽくも見えるし、社会とか対人関係には「同調圧力」があってあたりまえ、という感じの無神経さがイヤだ。
もっとも、この「民主主義」「平等」の共同幻想のトーンは、いかにも「戦後的」「日教組的」な「不平等民主主義」にも見えるので、そうなると今の社会にとっては必然的なものなのかもしれない。


百歩譲って、今のネット社会はその程度の回線負荷など問題にしていないとしよう*1
だからといって、誰かに何かを強要することの免罪符になれるわけなどない。




「嫌なら断ればいい」「トラックバックで渡されてないなら無視すればおしまい」という言い方をする人もいる。
しかし、相手とのコミュニケーションで「断る」ことを強いられるだけで負担だし、トラックバックではなくとも、無用にハンドルなり名前がアップされてしまえば、うれしいと思える人はいないだろう。
結局のところ、どんなバトンも「誰もが渡されたがっていて、渡したがっている」というイノセンスな強迫観念が支えている「集団幻想」に過ぎない。


あるいは、友だちどうしで、共通の話題を持つ仲間で、ネットでシンパシーを持っていたあの人と……何かを共有するためのコミュニケーションツールだ、と人は言うかもしれない。
そう考えている善意の人は、「友達の輪は決して広がらない」というパラドックスのことを考えてみた方がいい。
これは『予めつながっていなければ(破綻が無い状態でなければ)「輪」ではない。即ち、完結している「輪」が広がることは決して無い』という考え方だ。


kuma_taroさんの「日刊くまたろう」でのバトンに対する捉え方や提案は、非喫煙者と喫煙者にとっての「分煙環境」を例に引くなど、理性的な考察がされていてとても好感を持った。
しかし、『「ネズミ講」から「いいとも」へ』との改革案*2については、このパラドックスを考えたときには不充分だと思った。
やはりバトンは、それこそ壮大な「内輪ネタ」であり、同調圧力と他者への不寛容が引き起こした、壮大なインフレが牽引しているシステムだと思う。


斜に構えた物の言い方をすれば、これを嬉々として回している人を見つけたときに、それ以降は「……そういう人なのね」なんてため息をついて見られるようになる、といったベンチマークにはなると思うにしても、こんなことを感じさせられてしまっただけで、とても空しい気分にさせられてしまうだけだ。

もっとも、これもNSAかどこかが情報操作(伝播)の実験をしてるだけかもしれない。

それはそれで……とてつもなくイヤな認識なのだけれど。

*1:実際は、例えばNTTドコモでさえ、自社ユーザ間のトラフィックを優先させるために他キャリアや一般のメールサーバからのアクセスを制限していたりする。NTTのケータイにメールすると平気で二日後に届いたりするので、仕事にも、デートの待ち合わせにも、とても使えたものじゃない

*2:『「いいとも」は、必ず1人が1人に回しているし、 必ず「来てくれるかな?」「いいとも!」と承諾を得てから回しています。これで、迷惑性を排除して「多様な意見」と「人のつながり」を楽しめるかな?(引用)』