親父の本棚

casa_kyojin2006-05-03

子供は親の本棚に並んでる本やレコードで育つ。

「レコード」なんて時代がかった表現だけれど、それがCDやDVDに取って代わるだけで、この真理は変わらないと思う。


さて、自分の場合。
栄養士だった父の本棚に並んでいたのは、仕事に関連した専門書がほとんどで読書の対象になるようなものはほとんどなかったから、手に取ったことすらなかった。
ただし、レコードは違った。
僕は今でこそ仕事でエラそうにCDの紹介なんかをしているけれど、これだって父が棚にに並べていたクラシックやジャズのレコードと出会っていなかったら、ライナーノーツの書き写しでお茶を濁すことになっていたかもしれない。
クラシックはカラヤンベルリンフィルを振ったものを中心にズラっと一通りのものがあった。
ジャズはビッグバンドがほとんどだけれど、スタンダードといわれる曲は結構揃っていた。

でも、だからといって父は音楽マニアとか、熱心なファンだったわけでもなんでもない。
「オーケストラがやってきた」「題名の無い音楽会」「音楽の部屋」……なんてライトクラシック系のテレビ番組(あるいは「小三治のFM高座」といったラジオ番組)が好きだったりはしたけれど、ピアノソナタを演奏者の違いによって比較したりとか、あるジャズプレイヤーの往年と晩年の演奏を比較したり、といったクラシック好き、ジャズ好きの人なら誰でもするようなこととは全く無縁だった。
彼は、クラシックにしろジャズにしろ「なんとなく」好き、といった感じだったのだと思う。そういえばポール・モーリアやリチャード・グレイダーマン、フランク・ミルズなんてあたりも大好きだった。
とどのつまり、彼は「ちょっとインテリ趣味のブルーカラーの人」といったところだったのだろう。
彼は生涯何度か新しい家を建てるくらいの豊かな暮らしができるようにはなったけれど、そうしたハードウェアはともかく、ソフトウェアというのは一朝一夕では積み重ならない、という事実が冷徹に横たわっているように思える。
彼はちょっと音楽を聴いたり、ちょっと映画を観たりはするけれど、その他はおよそ無趣味の人だった。


そんな本棚に影響を受けて育ったわけだけれど、僕はどうしたことかドボルザークスメタナ、あるいはムソルグスキーといった東側からクラシックに入ることになった。
そして、彼にバカにされることになる、「田舎臭い」と。
彼が好きだったシンフォニーは、ベートーベンの「田園」だった。
冒頭の有名な四小節の主旋律を「目の前に本当に田園風景が広がってくるようだ」などいっていたけれど、彼はついにヨーロッパの田園風景を見ることもなく亡くなった。彼の心の景色に広がっていた風景がどのような形となっていたのか、今となってはもう想像することもできない。

僕はもっと色々な曲を聴きはじめると、あっというまにラヴェルドビュッシー、あるいはバロックという方に行ってしまって、ベートーベン辺りはどうにも大げさすぎるというか、クラシックとしてあまりにも「ポップ」なことが気に入らないと思うようになってしまった。
彼はドビュッシーあたりになると、耳にしてもただ「わからない」と言うだけだった。
好きでも、嫌いでもなく「わからない」
なんともディスコミュニケーションに満ちた言葉のような気がするれど、どういう意味が含まれていたのだろうか。


ジャズでは、彼はなぜかパブロ他いくつかのレーベルの復刻盤をゴソっと大量に買い入れたことがある。
ほんの少しベニー・グッドマンがあったりはしたけれど、およそ父の趣味ではない(実際、聞いているところを一度も見ることはなかった)
母に言わせると「職場に売りにきたのを断れなかったんじゃないか」なんてことになってしまうけれど、当たらずとも遠からじといったところだったのだろう。

しかし、僕はそのレコードの山のおかげで、エラ・フィッツジェラルドジョー・パスミルト・ジャクソンチェット・ベイカーといったミュージシャンに出会い、それは僕にとってはとても幸せなことだった。


晩年の彼は、「タモリの音楽は世界だ!」がずいぶんと気に入っていたようなのだけれど、とりわけ「ネーネーズ」などの沖縄モノを好きになったようで、そうしたCDを何枚も買い込んでいた。
彼の死後、そのへんのCDをクルマのチェンジャーにギッシリ並べて母とドライブしたことがある。
「なんでお父さんはこんな(ヘンな)の聞きたかったんだろう」
僕よりもさらに了見の狭い母に言わせるとこんな調子だ。
しかしそれが巡り巡って、僕は再三沖縄にでかけるような沖縄好きになってしまったり、「りんけんバンド」のコンサートの後に、なぜか照屋林賢その人と深夜の新宿で一緒にビールを飲んだりするような経験をできたのだからわからない。

人生というのは本当に奇妙な出来事の積み重ねでできているのだろう。
そして僕は、父への感謝を忘れずにはいられない。