あこがれの、デート

casa_kyojin2006-06-20


近所の道でクルマを走らせていたら、一台のビッグスクーターに追い越された。

ピカピカの黒いスクーター、ワル系の「ファッション」でキメた若い男の子。後ろには制服の女子高生。
バイク=不良なんてのはかなーりナンセンスなわけだけど、こんなカンジのミニスカ女子高生はやっぱりワルっぽいよね。

自分の後ろに女のコを乗せて……なんてことは一生できないのかなあ。
でも、40歳くらいには大型免許を取って、そしたら……なんて夢想妄想はしてしまう。

日本でモーターサイクルがブームとして消費されていたころ(20年前にはそんなものがあったのだ)、高校生から大学生といった年代を過ごした僕は、それはもう痛烈にあこがれましたよ、タンデム(二人乗り)に。

そんなふうに思いっきり前のめりになって教習所に通う気は満々。
アライのラパイドのスペンサーレプリカを持っているのはそんな理由だったりする。
それもHRCカラーのトリコロールなのが泣ける!(画像下)世の中に出回ったのは、ロスマンズカラーの方が多いんじゃないだろうか(同上)

しかし……いろんなバッドラックが重なり、教習所に通うことはできなかった。

かなわなかった「タンデム」の次にあこがれたのは「ドライブデート」

二輪から四輪というのは、じつに当たり前の道筋。
でも、そんな夢ならとうの昔にかなってしまった。
それも、ずいぶんとあっさりしたものだったと思う。
要は「免許を取った」「車を買った」ってだけの話。

例えば「○○に乗ってる」なんてことを理由にデートしてくれる女の子なんて、いるわけがない。
それがフェラーリやポルシェでもそうだろう(そのテーマは、また別の機会に書くことにするけれど)


とはいっても、楽しい思い出はたくさんある。
緑色の小さなイギリス車がスタックした真夏の銭函の砂浜。
真っ赤なオープンカーで出かけた真冬のお台場13号地──でも、そんなのはどれも、遠すぎる思い出だ。

もう20年も前の話──そしてこの20年という月日は、女の子を隣に乗せて……なんて風景を、単なる日常生活の一部に変えてしまった。

生活の中に、恋愛が存在しないようなパートナーシップはナンセンスだ。
でも、生活そのものが、恋愛とはイコールになることはあり得ない。
そして、恋愛の本質も、悲しいくらいに生活そのものとは相容れない(不倫カップルのズルさは正にそのへんにあると思う)

今、パートナーを隣に乗せて走るとき、残念だけれど“あの日”のようなドキドキを感じることは、無い。

でも、例えばドライブデートコースマップのような仕事をするとき。
その「ドキドキ」を忘れないようにしなきゃな、とは思ってる。

だって、10人とか20人じゃない「あの頃の僕」が、そのマップをちょっとでも役に立ててくれるかもしれないのだから。



そんな地平にたどり着いた今、一番のあこがれ(のデート)は、もう絶対にかなえる事ができないことだから困っちゃう。

高校生のときに、高校生の女の子と一緒に学校の帰り道……これをやってみたかった。もちろん二人とも制服なのね。

一緒に試験勉強とか、廊下ですれ違ってドギマギしたりとか、自転車の二人乗りとか……いいよなあ(遠い目)


でも、今となっては「歴史IFモノ」だし、僕の志望校はそもそも第一志望も第二志望も私服だったんだから、その実現の可能性は限りなくゼロだったわけだけれど。

今でもそんな高校生を見かけると「いいなあ」と心からあこがれてしまう。
そしてその年代の頃の僕はといえば、タンデムなり、ドライブデートにどうしようもないくらいにあこがれていたんだから、どうにもうまくいかないものだ。


──あこがれ、なんて感情はそういうものなのかもしれない。
ちょっと「青い鳥」を思い出す。



もうひとつ、タンデムの話を。

じつは、それ自体をしたことが無いわけじゃない。


もうこの仕事を始めてからのことだけど、そのガールフレンドは、ドゥカティのモンスターに乗っていて、次はハーレーのスポーツスター……なんて限定解除ホルダーだったのだ。

仕事場に迎えにきてもらう約束をしてるときに「ズドズドズド」とか「ドドドドドドッ」なんて音が遠くから聞こえてきたりすると、本当にワクワクしたのを思い出す。

ヘルメットのシールド越しに流れていった景色のことは、もうほとんど忘れてしまった。

でも、ブレーキングの度、二人のヘルメットが「コツン」と当たるその時の音だけは、妙にハッキリと覚えている。


彼女は──僕がグズグズしてたから、他の人と結婚しちゃったけどね。

どうも僕はそういう人生を繰り返してるらしい。


■DREAMS COME TRUE「LOVE GOES ON…」(「未来予想図 II」を所収)

……でも、ヘルメットを五回もゴツゴツやってたら、それって「ア・イ・シ・テ・ル」のサインどころか、ただの頭突きみたいだと思うけどなあ。

そんな歌詞が登場する曲「未来予想図 II」を、高校生当時に既に書いていたという吉田美和って──もしかして結構ヤンキーだった?

なんてことを、高校生の夏にバイクで死んだ同級生のことを思い出しながら考えてみた。同じ世代の北海道人として。