ああっツルッパゲ女神さまっ

casa_kyojin2006-06-22


井戸の縁でぐっすり寝入ってしまった少年が、今にも井戸の底へ落ちてしまいそうになっている。

そこに現れた運命の女神フォルトナ曰く。

「起きなさい。自分の迂闊さが引き起こした不幸まで私のせいにされてはたまりません」

教訓。不幸を運命や偶然だけのせいにしてはいけない──ラ・フォンテーヌの「寓話(運命の女神と少年)」


画像はピエール・ブイヨンがそのエピソードを絵画化した「子供と運命の女神(1801)」

女神の髪型に注目。不自然に額の上で編み上げているのは絵画表現上の「脚色」

女神フォルトナ、本当は後頭部がハゲてるんですよ。

「幸運の女神は前髪しかない(近づいてきたときに前髪をつかまないと逃がしてしまう)」って言い回しがあるんですね。

ブイヨンもさすがに女神の後頭部をツルッパゲにはできなかったようで、こんな髪型に描いたらしい。



僕はなんだか、いつも前髪をつかみそこねているような気がする。
そして、そんな後悔は「恋愛」の場面でばかり起こってしまう。それはもう、どうしようもないくらいに起こってしまう。

男は往々にして過去の恋愛のことをいつまでも引きずってしまうものらしい。

それに対して「女はただひたすらに今だけを生きているものだけになあ(長谷川平蔵鬼平犯科帳」─うろ覚え)」っていうのが真理だろう。

鬼平」にも、昔の女のことが忘れられなかったばかりに、自分を破滅させてしまう火盗改メの同心や盗賊たちのエピソードが数多く登場する。

ところが、女という存在は、どうしようもなくリアリスティックにできている。それはそれ、次は次──以上終了。

女が昔の恋愛をいつまでも抱えていることなんてまずないし、もしそんなことをしているとしたら、イヤってほどリアルなメリットがあったりするときだけじゃないだろうか(不倫体質の専業主婦とかね)

それに対して、男の「思い出」なんてものは、どれもこれも塩漬けの不良債権になっているだけなんだから、なんともナサケナイ。



僕にしても、どうしても忘れられない人……っていうのはいますよ、やっぱり。
それこそ前回のハーレーの女のコもその一人だ。

だからといって、そのコを今でも好きなのかというと、それはちょっと違う。
やり直せるとしたら? と聞かれても、“No” と答えるしかない。結局いつか別れてしまうことには、変わりがなかったと思う。

ただ、もっと違う時間を共有することもできたのにな……くらいには思う。

僕が抱え込んでいる「失敗の方程式」は、なんとも宿命的だし、ともすれば「呪い」にすら思えてくる。

それは、相手が自分のことを心から愛していてくれるときに、自分は同じような真剣さで、熱心さで、相手のことを愛していない──というパラドックスだ。
それこそ、女神が自分の前を通り過ぎた後から、あわてて真剣になりだすんですね。ところが「ツルッパゲ」なんだからどうにもなんない。

いつまでも失い続けるわけにはいかない、いつもそう思っているはずなのに、どうしようもなく相手を傷つけることを繰り返す。
そして、そんなときは自分だってそれなりに傷ついている。


人は、好きなだけでは一緒にはいられないし、嫌いなだけでは別れられない。
出会いと別れには、どうしようもない宿命と、悲しいくらいの現実が横たわっているからだ。



思えば、ハーレーの女のコのことにしても、10年以上経った今、やっと文章にできたことになる。

ユーミンに言わせれば「♪昔の恋を懐かしく思うのは 今の自分が幸せだからこそ(静かなまぼろし)」ってことらしい。

でも、今の僕は幸せでもなんでもないどころか、公私共々生涯最悪といっていいくらいのどん底にいる。

ただ、新年度以来、仕事で大きな転機もあったし、他にも色々なところで何かが変わろうとしているのかもしれない。
そのくらいには思えるようになってきた。

自分自身で、何かを変えていくときなのかもしれない。


今度こそ、女神の前髪を逃がすわけにはいかない。


■流線形 '80

「静かなまぼろし」は、このアルバムに所収。