居酒屋 ぽん太

casa_kyojin2006-07-20


湘南に住む前、三多摩住人だったころ。家のすぐ近くにアヤシイ居酒屋があった。
天文台のそば、小学校の真っ正面。

なんかこう、入りづらい……でも、暖簾に「磯料理」って書いてあるのが気になる。

……初めて入ったのは引っ越してから何年も経ってからだった。

それ以来、10年位つきあってたことになる。もっとも、湘南に引っ越してからは年に何度かしか足を運べなかったけれど。


なんともディープな店で、とにかく常連しかいないような店だった。

マスターも客も競艇大好きな人が多くて、遅い時間になったらみんなで麻雀してたり、チンチロリンをしてるような博打打ちの店。
そりゃ、一見さんはそうそう入ってこないよね。

──ところが、出てくる肴は滅法美味い。

運がいいとツブ貝があったりして、マスターが目の前でカラを割ってさばいてくれるのだ(食べちゃダメなウロの味はここで覚えた)

友だち何人かと一緒にいって、刺身の盛り合わせを頼むとどーんと大皿にドカドカのってくる。
マグロやイカはあたりまえ、ホタテやホッキまでバーン!
会社の経費で落とした編集者が、「この金額間違ってない?」って驚くくらいの豪華さと美味しさ!

それもそのはず。
マスターは北海道の網元の息子で、東京でしばらく市場に勤めた後、魚の行商をしてた魚のプロだった。

目利きだし、それに市場に仕入れに行ったら、

「コレ落ちてるんだよな」
「イヤ、あの、勘弁してくださいよ……」
「落ちてたのを拾ったからな!」
「ハイ…………」

みたいな調子で、マグロのカマとか鮭の頭なんかを“仕入れ”てきちゃう。


ただし、マスターが二日酔で仕入れをさぼったりすると、ウインナーやスルメ……みたいなものしかなくなっちゃうテキトーさ。
そんなハズレの日は、しかたがないからキムチやチャンジャでずるずる飲んだりもしてた(でもそれがまた美味い)

でも、マスターと、そして集まってくるアヤシい常連たちの魅力がいっぱいで、連日午前様になるのが当たり前、そんな店だった。

そんなアヤシさとテキトーさが満載だったから、まあ商売が左うちわだったというわけでもなかったかもしれない。

店のある一角は、道路の拡幅計画ににひっかかってていて、この5年で並びの床屋は移転、コンビニは廃業。
どうするのかどうするのかと、いつも気になっていた。


この店で飲んでた頃にはいろんなことがあった。

何人かの客とはケンカしたことがある。
一緒に行ったガールフレンドは何度か代替わりした。
常連客の女の子にかるーく逆ナンされたけど、何番目かの弟になるのはちょっとイヤでパスした。
大の仲良しが何人かできた(みんな三鷹から散り散りに引っ越していって、ほとんどが疎遠になった)
そんな友だちの一人は、常連仲間の嫁さんを寝取って、同棲を始めた(そして僕とは疎遠になり、僕の元カノとはラインが生きているらしい)

まあ、とにかくたくさんのことが山盛りいっぱいあった。
なにしろ……20代の終わりから40手前までの10年だったんだもの。



この日、ずいぶんひさしぶりに足を伸ばしてみたのは、ちょっとした気まぐれだった。

いつものマスター。いつもの常連たち。

ご無沙汰してました、随分やせたんじゃない? そっちもね──なんて挨拶。
ひととおりそんなやり取りをしたあと、すっかり疎遠になっていた元仲良しサンが、

「誰かから聞いたんですか?」

とひと言。

「何を?」

マスターが言った。

「この店、今日で閉めるんだよ」



最後の日、マスターに、みんなに会えてよかった。

故郷の北海道に帰るマスター夫妻は、水道の無いところに新居を構えるので井戸を掘るところから始めるらしい(百何十メートル掘るのに250万かかる!)

いつかまた、会えるのかな。



僕が三鷹で暮らしていたことの思い出、いいことも悪いこともあったけど、これもひとつの区切りになるのかな、とも思った。


もうあの街に、僕が足を止める場所は無い。


■吾妻ひでお「失踪日記」

この店、吾妻ひでおがアル中の治療に入っていた病院の、すぐ側にあった。