アカウンタビリティー
「都内外から駆けつけた多数のボランティア」
そりゃそうでしょう。
都知事選で浅野史郎を落っことしたのは、そうした「左巻き」のボランティアの存在、という部分もあった。
もしこの人が「有力候補」で、そうした「市民運動」的選挙手法がもっと周知されていたら、同じように当落に影響したかもしれない。
「政党の支援や組織票を持たない」
自民党べったりのはずの読売新聞がこんなことを書いて「市民」読者に迎合するくらいだもの、そりゃ自民大敗にもなるよね。
もっとも、この人が民青や極左との関係を上手に隠しているのは、東京HIV訴訟の頃からの得意技だったけれど。
■新・ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論(上画像)
この本に限らず、小林よしのりの言ってることを全て受け入れることはできないけれど、川田龍平と民青や極左の関わりそのものについて粛々と描かれていること自体は評価したい。
川田龍平自身は、もちろん稀代の仇持ち。相手が天下国家となれば、それはどんなことでもするだろう。
しかし、その復讐心自体が反体制、反社会、反国家といった有象無象のベクトルと、小異を捨てて大同につきやすいことくらいは容易に想像できる。
問題なのは、今回の選挙で彼に投票した683,629人の人のうち、どれだけの人が彼のそうした「反体制至上主義」を知っているかどうか、ということだ。
川田龍平は、彼の大好きな「アカウンタビリティー(説明責任)」を、自分こそが果たしていない。
それを果たした上で国会議員としてやっていくのならあっぱれ。
しかし、耳障りの良いことばかり言って票集めをしただけとなれば、彼自身の大嫌いな「国家」「体制」と同じことをしているだけだ。