腐女子が目指すBLではない地平
ボーイズラブでオナニーしてる女子なんて島流しか死刑にしなきゃダメです
──と日記に書いたのは、やはりニュースがらみで「児童ポルノ処罰法」関連のことを取り上げたときだった(「それならジャニヲタや腐女子は全員タイーホ」)
その時の主旨は、ロリータコンプレックスの存在だけで性犯罪だと決めてかかるのなら、ショタコンの腐女子も犯罪者だし、「少女コミック」のあからさまなセックス描写でハアハアしている小学生女子も要保護観察だろう──というものだった。
ともあれ、児ポ法の過激な運用を求めている女性たちが、男性フォビアなのはよくわかった。
そして、世の中というものは、男性のセックスに対してかくも狭量なのに対して、女性のそれに対してあまりにも寛容すぎる、ということでもあるのだろう。
そして、この「座談会(上写真)」に出席した腐女子たちは、性指向全般に対して少なくとも狭量だし、それどころか、どこか差別的なニュアンスまで感じさせる人たちだった。
この「『ボーイズラブ(BL)』と呼ばれる、男性同士の恋愛を扱った小説や漫画を好む女性」たちの間に交わされるやりとりはなんとも偽善的で、そこかしこにザラつくようなイヤな感じがまとわりついてきた。
──根本的な質問で恐縮なのですが、なぜ男性×男性の組み合わせがよいのでしょうか?
B: 見たことがないからかな。
いきなりこの調子だ。
実社会におけるゲイというセクシャリティを「見たことがない」とバッサリやってしまうのだから、すごい。
20代後半、フリーターというこの女性は、生活の中でそうしたチャンネルを積極的に閉じているのかもしれない。
あの名作映画や、かの名作文学にすら接したことはなく、それどころか「おネエ★MANS」といったテレビ番組にも関心が無いのだろうから。
──ヤマジュン系(山川純一:ゲイ漫画家。画像右)はどうですか?
A: 生々しいのはダメ。BLはファンタジーだから。
B: リアルは絶対やだ。
D: 最近は実写もあるらしいですけど、私は見たいとは思わないで(ママ)。
全員: 絶対無理ー。
曰く、「リアルは絶対やだ」「絶対無理」
つまりは「見たことがない」わけでもなんでもなく、単純なホモフォビアだったということか。
もちろん性指向なんてものは個人の自由だ。それも人間存在の根源的なところにある自由だ。
しかし「腐女子出てこいやー」と言われてノコノコ出てくるようなボーイズラブ好きが、ホモフォビアを公言するというのはどういうことだろう。
もちろん、個人の性的嗜好はそれ自体尊重されるべきだ。
しかし、それはつまり「人のセックスを笑うな」ということではないのか。
尊重されるべきなのは腐女子のセックスだけではない。
ホモフォビアとしての腐女子に支えられているボーイズラブという文化(あるいは市場)の、なんと狭量なことか。
D: でも、自分がBLにハマってることもあって、ゲイの人たちに偏見とかは全然ないんですよね。
E: 逆にゲイの人だと自分に関係がないじゃないですか。「勝手にやって」って思ってる。偏見があるんじゃなくて、別世界だから。
「絶対無理」といった直後の発言がコレだ。
「偏見とかは全然ない」というのであれば、それはそれで良しとしなければいけない。
しかし、「ゲイの人だと自分に関係がない」「別世界」という狭量さには薄ら寒いものを感じた。
そこまで言い切っておきながら「偏見」ではないと言い切る感覚には、ゾッとする。
こうした認識は、障害者や難病の罹患者、外国人だけでなく、自分のコミュニティーに属さない全ての存在に対して「関係がない」という感覚を持つことに結びつく。
こうした人自身が、病気やケガで障害者になってしまったり、国際結婚をした時にどんなことがおこるのか、とても興味深い。
僕自身はそうした事例におけるある種のステレオタイプの存在を感じているが、それはあくまで個人的な経験律の問題なのでここでは触れないでおこう。
ともあれ、マザー・テレサは「愛の対義語は憎悪ではありません。それは『無関心』です」という至言を残している。
ちなみにDは出席者の中で一人だけ、年齢(29歳)以外のプロフィール開示を行なっていない。
──性的な部分は含まれてないということですか?
B: そういうシーンはなくてもいい。
D: うん。
もっとも、彼女たちのいうところの「ラブ」というのは、つまりこういうことらしい。
僕は、セックスをともなわない恋愛については、120%ありえない絵空事で、当事者以外の第三者にすら害を為しかねない偽善、欺瞞だと思っている。
ましてこれは同性愛の話だ。
同性愛は、異性愛と同じように、そしてそれが遥かに及ばないくらい、高度にメンタルで、哀しいほどにフィジカルな行為、存在だと僕は感じている。
そもそも、「性的な部分は含まれてない」ボーイズラブ、なんていうのがあるんですか?
セックスシーンが無い、ということならわかる。しかし性的な「部分」も含まれてない?
この人たちの言っていることはまるでわからない。
もっとも、この人たちの無関心は、ゲイに対してだけ向けられたものではないようだ。
──でもそれならなぜ男性×男性なのでしょう?
B: 戦争物とか、命を賭けてる場でコンビを組んで、濃い絆を結ぶじゃない? 男と女なら第一印象で悪くなかったらそれなりの仲になれるじゃん。
A:「そいつじゃなきゃだめなんだ」ってのが大事。「好きになったのがたまたま男性だった」というのがいいんだよね。
D: 言えてるかもしれない。人間対人間なんですよね。
つまり「B」は、男と男は限界状況でなければ「濃い絆」を持てない、と言っているのだろう。
なるほど、身近でそうしたセクシャリティを「見たことがない」と言い切る人ならではの発言だ。サンフランシスコやシドニー、新宿二丁目は復員兵の街だったのか。
「BLはファンタジー」と言い切った「A」は、「好きになったのがたまたま男性だった」というシチュエーションをフィクションでなら肯定できるのだろう。
もちろん、現実は「ノンフィクション」どころか、「明白かつ現在の」事実としての現実だ。
ゲイに対する「偏見が無い」という「D」にとって、ボーイズラブは「人間対人間」であっても、男女間の恋愛や女性同士の場合は人間じゃないということか。
腐女子というのは、ボーイズラブが好きなだけの人たちだとばかり思っていたが、ここまで想像力や他者への関心が欠如した、性差別的な人たちだとは思わなかった。
それこそ先日の拙日記「『働きマン』の内なるアレ」で書いた「フェミニズムの地平において、一番厄介なのは、女性を差別したがる女性よりも、守旧的な男性の尻馬に乗りたがる、喜びたがる女性たち」のように、ボーイズラブ好きのホモフォビア、さらには人間嫌いだなんてものは、人間社会における厄介者ということになりかねない。
「偏見は無い」とシラッと口にできる人間が、一番の差別者だ。
──失礼ですが、みなさん彼氏はいらっしゃいますか?
B: 私は募集中です!
この座談会で納得できたのは、この回答だけだったかもしれない(ちなみに、「D」は無回答だった)
ヤマジュンの「やらないか?」といえば、コレ
■激白! 腐女子のホンネ
(ITmediaニュース - 12月10日 11:10)「腐女子」とはいったい、どんな人たちなのだろうか──そんな疑問を解消すべく、腐女子5人に集まってもらい、緊急座談会を敢行した。
なぜ腐女子になったのか、ボーイズラブ(男性同士の恋愛)のどこに萌えるのか、腐女子に彼氏はいるのか、男性オタクをどう思うか──腐女子の本音を2時間半、語ってもらった。