「働きマン」の内なるアレ
先月書いた「働きマン」の話(「光の国の編集部」)の「おかわり」です。
松方が「働きマン」に変身したら「仕事が三倍速になる」というのは、ドラマ的にはもちろん、そういう人が実際にいたとしても、もちろん「アリ」でしょう。
じゃあ、何が「ナシ」なんだと。
関根勤さんが加山雄三のスキー場に、若大将その人に招待されたときのお話──
若大将、いきなりポールを設置してあるゲレンデに関根さんを連れて行くと、「さあ、行きましょう!」と一人軽やかに滑っていってしまった。
ポツンと残された関根さん。
「どうしようかと思ったんだけどさあ、後からついていかないわけにいかないでしょ。
でさあ、考えたんだよ。
加山さんのモノマネしながら滑ってったら、なんとかついていけるの(笑)
でもさあ、関根勤に戻ったとたんに転んだね(爆笑)」
──物語として、こういう「スイッチ」ならもちろんアリでしょう。
「加山スイッチ」ならなるほど面白いし、笑える。
それが「男スイッチ」だからシャレにならない。
全ての男が女の三倍仕事ができて、全ての女が三分の一しかできない、という事実が存在しない限り、「男スイッチ」は普遍性を持たないし、ましてや笑えるネタにはなり得ない。
ある人が「(『働きマン』は)そのことで頭を悩ませたことない人が考えたジェンダー論 」とバッサリやっていたのに、僕も強く同感だ。
たしかに、男性三倍説みたいな保守的な感覚は、今の世の中ではまだまだ多数派だし、このフェイズで封建的な価値観のヒエラルヒーに身を置くことは、多くの人にとってラクチンなことだ。
なんだかんだいったところで、男は外で仕事、女は家庭、って固定概念はまだまだ世の中の主流派だし、マジョリティーというのは「力」そのものとして機能する。
……でも、今時そんなことを振り回しますか?
しかも、このドラマではそうした性差別をしているのが主人公その人なんだから困ってしまう。
男にならなきゃ仕事がバリバリできない。それでいて女性ホルモンの枯渇におびえて納豆巻きばかりムシャムシャやってる。
それでいて「甘いもん好きの男の人っていますよね。いい歳して」と、性差別発言をポンポン口にする。
この四分五裂して統一性の全くない性差別者は一体何者なんだろうか。
だからといって、僕は上野千鶴子や田嶋陽子のようなフェミニズム論には組しないし、むしろ大嫌いなのだけれど、これだけは言える。
ことフェミニズムの地平において、一番厄介なのは、女性を差別したがる男性よりも、そうした守旧的な男性の尻馬に乗りたがる、喜びたがる女性たちなのだ。
このドラマ、平均視聴率が十数パーセントになるくらいにいは、世の働く女性の「共感」を集めているようだけど「わかるわかる」とか「私も頑張ろう」だなんて思わされてしまった女性は、自分の中のセックスやジェンダーというものに対する意識、価値観をもう一度考えた方がいいだろう。
このドラマの主人公のように、リベラルを装っていながら、じつは守旧派の封建的なヒエラルヒーにベッタリ、という生き方は、実に小器用で安楽だろうけれど、そんな卑怯なやりかたもない。
そして、現実社会に住むコウモリの数は、イソップ童話の世界よりも多そうだ。
エンディングの曲はしっかりとCDになってました。
働木満なんて名前で覆面歌手扱いになってたのに、顔出しちゃダメじゃん>エロ男爵