僕はあなたとセックスしていない
日記やプロフィールでプライベートを開示し過ぎてる人は苦手です。
それから、宗教や政治、マクロビやベジタリアン、ニューエイジっぽい話題、生殖医療やPETAみたいな話に熱心な人もゴメンナサイ
mixiの僕のトップページには、そんなことが書いてあります。
以前はもっとキツい書き方をしていたのだけれど、友人のアドバイスでやわらかく書き直した──なんてこともありました。
ブログなどでプライベートを開示し過ぎている人にダウンな気持ちになってしまう──という感覚は、なかなか理解してもらえないことも多いです。
もちろん僕にだって野次馬根性みたいのはあります。
でも、だからといって、あっちでもこっちでも人の箸の上げ下げを覗いて回る趣味なんてないわけです。
突き詰めた分類をすれば、世の中に存在する文章には二種類しかありません。
「記録されておくべきもの」と「誰かに読ませたいもの」です。
日常生活を開示したがる人は、カーテンの内側を見せたくてしょうがない──ということなんでしょう。
単なる個人的な記録に、Webにアップされる必然は無いはずです。
そして、特にmixiでは、そういう人が少なくありません。
これは多分に、mixi“日記”というネーミングが本質を誤解させ、勘違いを助長してしまうからでしょう。
“日記”=プライベート──という誤解が、ネットリテラシーの低い人に容易に入り込んでしまう。
でも実際は、オープンスカイな公共の場に開示される文章のわけです。
ここで、“ネルソンの火かき棒”のような例え話をできればいいのだろうけれど──僕が思いつくのはせいぜい“ブラジャーの肩ひも”です。
──プライベートが無造作に露出された文章は、ブラのストラップを堂々と肩口にのぞかせている人のようなものです。
周りが違和感や居心地の悪さを感じていることに、当の本人があまりにも無頓着だったりする。
もっとも、その人がどんな意識でいるのかには、いくつかのパターンがあります。
まず、見えていることに気づいていない場合。
──仲の良い友だちなら、指摘できるかもしれない。でも大多数の他人は、だらしない人ね、と思っておしまい。
次に、これは“見せブラ”だから、という場合。
──それがセクシーに決まっているのであれば、カッコいい。反面、ファッションとしてチグハグであれば、どうにもカッコ悪い。
そして、「見るなスケベ!」という場合。
──アンタに見せてるわけじゃない……ということなんだろうけれど、見えているのだからしょうがない。
しかもネットというのは家の中でも、近所の路地でもなく、世界中の人が常に行き来しているメインストリートで繁華街のわけです。
例えば、最近読了した安野モヨコの「くいいじ」は、プライベート全開以外の何ものでもない日常雑記だけれど、そこにはプロとしてのリテラシーもあれば、文章、作品としての面白さがあります。
カーテンの内側を見せるだけなら、誰にでもできる。
しかし、あえて“見せる”というのであれば、他者の関心を引いたり、共感を得られるだけの矜持が必要です。
そこに、本質的に必要とされるのは“文章力”ではありません。
根本的な命題として不可欠なのは、“プライドと意識”でしょう。
mixiに限っていえば──だからマイミク(機能として設定できる“友人”)限定公開にしています、という人もいます。
でも、僕は“公開範囲”という概念、システム自体に懐疑的です。
有効に機能する状況を、仲間内の連絡網ぐらいしか思いつかないのです。
そうではない圧倒的多数の場合、自分がその公開範囲に含まれていたとき──経験率としてはシンパシーよりも困惑させられることばかりでした。
カーテンの内側どころか、スカートの内側を見せられてしまえばなおさらです。
それに、マイミクのマイミクまで──となると、もう“他人”みたいなものでしょう(それこそ、鳩山邦夫の「友人の友人はアルカイダ」じゃないけれど)
これは、姉の結婚相手が、ある選挙に立候補した──という男性の話です。
当然彼は、義兄に投票したと思いきや、白票を投じたとのこと。
どうして? 妻や子は当然尋ねます。
「──僕は彼とセックスしてるわけじゃないから」
明け透けで赤裸々な文章を読まされる度に思い出すのは、寓意としてのそんなエピソードです。
彼氏や彼女、配偶者や子供、職場の誰それ……そんなプライベートをダダ漏れにしている文章──それをあなたは、どうして誰かに、そして僕に読ませたいのですか?
──僕はあなたとセックスしてるわけじゃないのに。
最後に──マクロビオティックやベジタリアンを忌避しているのは、もっと単純な理由です。
だって、一緒にご飯食べに行けないじゃないですか。
友だちとはご飯くらい一緒に食べに行きたいな──というのは自然な感覚でしょう。
もちろんそんなとき、“ブラひも”が見えてしまっているのは、ご勘弁ご勘弁……。
こんなに“くいいじ”の張った安野モヨコが、軽度“ベジタリアン”のカントクくん(庵野秀明)と所帯を持っていることには驚くしかないのだけれど、家族とは──つまりそういうものなんだな、と思った。
家族になり過ぎちゃってセックスレス──みたいな、日本では圧倒的な数を占める偽善的な夫婦には辟易だけれど、そんなふうに“家族”として尊重しあえるパートナーシップは素直にうらやましい。