「ラブリーボーン」★☆☆☆☆

casa_kyojin2009-12-24


クライムサスペンスとしては、コロンボ型。殺人事件の現場に犯人はキッチリ登場する。

──しかし、謎解きは無し。


父親が事件の推理──というか、近所の住人を順番に、何の根拠も無く犯人扱いし始め、ギスギスした空気の中で家庭は崩壊。

──しかし、家庭再生の道筋は描かれない。


はるな愛は、この映画の試写会イベントで、

「(ヒロインの)スージーがキスをしに戻るシーンで号泣した。私も(青春時代に)戻りたい!」

──と、コメント。でもあれは、“キス”のためだけに戻ってる?



──とまあこの辺りまでは、チラシや御用記事にも書いてある範囲。

※以下はネタバレを気にせずに書きます。



僕がかつて作劇法のレクチャーを受けたとき、一番印象に残ったフレーズにこんなのがある。

「ストーリーは、受け手の“予想”を裏切らなければいけない。しかし“期待”を決して裏切ってはいけない」


でも、この映画、観客は“全て”を裏切られっぱなしだった。


物語というものは、予想を裏切る展開にハラハラドキドキさせられながら、それなりのプロセスを経て、そして最後にレッセフェールにヒョイと助けられたりしながらも、期待された結末にたどり着かなければいけない──なんてテーゼがある。

ハラハラドキドキがなければ楽しめない。でも、救いの無い結末にも、やっぱり満足はない(「ダンサー・イン・ザ・ダーク」じゃないけど)



この映画、結末に向けてのハラハラやドキドキは、全部途中で放り出されてしまう。

なにしろ、犯人はわかってるのに、事件は迷宮入り。

最後には大団円を迎える家族も、再生プロセスは全く描かれない。

ストーリーの進展や、盛り上がり、伏線の張り方はあまりにも杜撰で、観客はカタルシスの盛り上がり様が無い“放置プレイ”を強制されてしまう。


結末にしても、犯人は逃亡、事件は迷宮入り。

とにかく家庭は再生されました、理由はわからないけれど──ってとこで満足しろ、と。

その上、連続殺人の犠牲者は、全員が手をつないだ状態じゃなければ往生できないとでもいうんだろうか。


原作者のアリス・シーボルドはレイプのサバイバーだそうだけれど、その事実や被害経験が、どれだけヘビーなことか、それを理解したいとは思う。

でも、ストーリーテラーが、自分の経験や意識の追体験を、受け手の胸ぐらをつかむようなやり方で強要するのは間違っている。



映像は、たしかにキレイだった。

しかし、美しい風景と壮大なCGだけで持つようなストーリーではないだろう。
なにしろ人が一人、それも少女が殺されてて、犯人は逃げおおせてる。

それに、CGに予算をとられすぎでもしたのか、セットの場面ではテレビドラマどころか、バラエティ番組のコントのセットみたいに見えたところもあった。


作り手はそれでも、美しい映像とその表現に満足してるかもしれない。
でも、死後の世界の描写にしても、予算が豊富な「大霊界」といったレベルだったと思う。

美しいと評判の死後の世界の描写が、「天国」というよりは「極楽」に見えたのは、僕が日本人だからかもしれない。
あるいは、原作なり映画版のスタッフに、仏教的世界への理解や憧憬があったのだろうか(祖母役のスーザン・サランドンは、劇中で仏陀の言葉に触れている)



ともあれ、試写の感想には「泣いた」「感動した」という声が本当に多い。

でもそういう人たちにもう一度聞きたい。
ヒロインの死体が永遠に闇に葬られてしまうような結末に、納得できてるんですか?

僕は、金庫の中に押し込められたヒロインの遺体が、地の底の泥水に沈められたラストに“感動した”なんて言ってる人とは、乗り合わせた電車で隣の席に座ることすらしたくない。


そもそも、極楽往生する前の最後の心残りは、家族の再生でも事件の解決でもなくて、アレ。

はるな愛は「キスをしに戻る」なんて言ってるけど、キスしただけであそこまでグッタリしちゃうわけないでしょう。

そんな“衝撃のラスト”には、日本の配給元がターゲットにしてるらしい女子高生たちも試写会で大笑いしてたけど。

それからこの映画、日本では例によって年齢制限は無いですけれど、アメリカではPG-13、イギリスでは12Aにレイティングされてます。

あそこまでの暴力描写、残酷描写があるのだから、当然でしょう。

物語の展開は大味で杜撰。しかし、リビドー描写やバイオレンス描写には妙に熱心。
この映画、誰が何に何を見せたかったのか、全く分からない。


中学生や高校生のカップルが、間違ってこの映画を観に行ってしまい、残念なことが起こったりしないよう、切に祈る。



ところで──

本編中に、本屋に「ロード・オブ・ザ・リング」のポップが立っているシーンが登場する。

もちろん映画版「ロード ──」の監督が、本作と同じピーター・ジャクソンだからこそのお遊びだろう。

でも、その場面で出る字幕は──指輪物語


戸田奈津子、軽く嫌がらせを?

確信犯かもだ。

若手に早く交代させにゃ──以上、なっち語三連発でお送りしました。


■原作小説「ラブリー・ボーン」

映画は「ラブリーボーン
原作は「ラブリー・ボーン

なんともややこしい。

ティム・バートンの映画「ビッグ・フィッシュ」は、原作はナカグロ無しの「ビッグフィッシュ」

こちらの映画版は、小説のモヤモヤした感じに、バートンらしいファンタジー色はもちろん、エンターテイメント性もプラスした佳作だったけれど、「ラブリー──」の原作はどうなんだろう。

原作のほうがよかった──なんて月並みなパターンだったとしても、あの映画の出来では……本を手に取ることはないだろうな。