坂本龍一のTVCMから考えたEVと原発
「自分がね、CO2をどのくらい出して走ってるか、いつも気になってたんですよ。
この車、そこが完全にゼロですよね」
坂本龍一が、日産の電気自動車、リーフのCMで、そんなことを言っている。
電気自動車、EVが“走行時”に二酸化炭素を排出しないのは事実だ。
しかし、電気そのもののが化石燃料に由来する場合など、EVそのものがCO2フリーというわけではない。
だからといって、EVも製造時にCO2を出すし、化石燃料由来の電気を使うじゃないか! と批判するだけではナンセンスだ。
EVと内燃機関を持つ車を比較した時、二酸化炭素や窒素化合物(NOX)といった排出物の観点からの効率には、まだまだ差がある。
EVはCO2やNOXがゼロではないが、エコ的な数値に優れているのは事実だ。
また、“生涯排出CO2”といった計算を持ち出したがる人には、市街地を走る車が排気ガスを出さない、というEVについての重要な事実に無関心なことが多いのもひっかかる。
それでは、あのCMは何故、EV=CO2フリーというイメージ戦略を殊更行おうとしたのか。
これは、EVで地球の大気全体をクリーンにするためには、原子力発電が必要でしょう? 重油やLNGを燃やすわけにはいかないんですから──という中長期的プロパガンダではないだろうか。
しかし──「原発」というキーワードを便利に使おうとするのは、原子力ムラや推進派だけではない。
反原発側も、例えば「オール電化やEVは原子力発電を推進拡大するための尖兵だ」と言い立ててきた。
“電力の安定供給のためにもっと原発を!”
“原発は即刻廃止! こどもの未来を守れ!”
こうした両極端の旗印は、往々にして現実的な議論を伴わなかったり、あるいは自分たちに都合の悪い部分を隠していたりと、そのヴィジョンが現実と乖離していることは多い。
隠蔽体質は、何も政府や原子力ムラの専売特許ではない。
反原発な人たちも「EVだって製造ラインや発電の段階で二酸化炭素を出している!」とは言っても、EVが街中に排気ガスを出さない、という大きな長所を持つことに触れようとしない。
推進、反対の両極端の二元論は、3.11後のリアルな現実の前では、どちらも絵に描いた餅だ。
未来に至るには、ヴィジョンだけではなく、ロードマップが必要になる。
しかし、原発を推進するも反対するも、利権や反日といった目先の目的にばかり熱心で、国家百年の計など、誰も考えていないかのようだ。
現在のモードは、もちろん原発廃止の潮流にある。
しかしその先には、電力供給をどう置き換えていくのか。そして核燃料サイクル体制をどう終わらせるのか、そうした困難な現実もまた、大きく立ちはだかってくる。
メガソーラー、風力、バイオマスといった自然エネルギーに、今すぐ原発に取って代わるポテンシャルは無い。
今々の現実として、家庭や集合住宅へのソーラーパネルの設置推進による最低限の電力供給や、高効率LNG火力発電の建設といった足下から始めなければ、“こどもたちのための未来”どころか、今日と明日が立ちゆかなくなっていく。
こと、この点において、反原発の国民投票というムーブメントには疑問を感じている。
脱原発──それが3.11後の日本のモードなのは、事実だ。。
でもそのあと、どうするのか、という未来への道筋を、誰がどう提示しているのだろうか。
彼らは「反対も推進も言わない。とにかく国民投票の実現を」──と言うけれど、スタート地点が反原発なのはもちろん、錚々たる顔ぶれの賛同人の名前を眺めたとき、その名と実には大きなズレがあるだろう。
実際、彼らの熱心なシンパの中には、エネルギーシフトにおける現実論や、反日、反体制運動としての反原発運動やデモへの批判を口にしようものなら、“東電のイヌ”といった指弾を浴びせてくる人もいる。
──彼らは一体、何と戦っているのだろうか。
さて、電気自動車のCMは、原発体制維持拡大のためのプロパガンダなのか?──という話に戻る。
そうした“政治利用”が始まった? とはいえ、まだまだ一般的ではないEVに対して、エコカーとしてのイメージを一身に体現しているのがハイブリッドカー(HEV)だ。
しかし、HEVというのは本当にエコで環境にやさしいクルマなのだろうか。
そもそも、エンジン車とEV両方の機関を持つHEVは、決して効率の良い形態ではない。
製造段階を含めた環境負荷も応分に高く、レアメタルの消費といった問題もある。
それらのコストは“低燃費”だけで相殺できるのだろうか。
さまざまな検証が加えられているが、特に初代プリウスについては、製造段階での環境負荷が大きく、低燃費だけではカバーしきれないという計算もできるようだ。
それでは、なぜトヨタは、その中途半端なエコカーであるプリウスの開発に血道を上げたのか。
ひとつの理由は、アルコール燃料や水素、燃料電池といった次世代自動車の時代が“来ることはない”という観測が比較的早く出ていたことだろう。
ガソリンの次は一足飛びにEVになる。自動車業界はかなり早い段階で、そう見ていた節がある。
そこで欧州メーカーは、現実的な選択としてクリーンディーゼルをEV時代までのリリーフ、繋ぎとした。
しかし、トヨタは、環境コストのトータルコストが決して低いわけでもないハイブリッドに行った。
これは、EVの時代に先鞭をつけるための“損して得取れ”だったのだろう。
鉄腕アトムが「21世紀に間に合いました」と宣言した初代プリウス。
しかしこれが、なんとも微妙な代物だった。
車重が重いせいもあってか、実勢燃費は決して良くないし、乗り心地も悪い。
先年アメリカでバッシングされたブレーキの“抜け”なんて、もっともっとひどかった(僕も含め、記事には書けなかったけれど……)
初代プリウスにはこんな話もある。
出先でクルマを止めたら、バッテリーが異常な状態になったので、すぐ車から離れろ──というアラートが出た──というのだ。
この話、そういうアラートの文章が予め用意されていたことが、一番の驚きかもしれない。
トヨタはそんなふうに、ユーザーをテストベンチにしてまで、HEV(そしてその後に来るPHEV、EV)の開発を急いだ。
その無手勝流の理由は、次代の自動車業界をリードするため──だけではないだろう。
パナソニックやソニー、GEやサムスンに、EVのキモを握らせないためでもあったはずだ。
また、ゼロックスやIBMが、ベンチャー企業だったマイクロソフトやAppleに、ついにはひっくり返されてしまったようなことが、次代の自動車業界で起こってしまえば大変だ。
EVはなにしろ部品点数が少なく、心臓となるモーターの購入や開発の容易さは、エンジンの比ではない。
つまり、トヨタは何手も先を打ったのだ。
またこのへんには、純粋なEVが市場を席巻することで大打撃を受けてしまう石油業界の思惑も複雑に関係してくるはずだ(参照:映画「誰が電気自動車を殺したか?」)
そして今──トヨタは、先年のプリウスバッシングはトヨタの技術を丸裸にするためのアメリカの陰謀だったのでは? といった話が出てくるほどの技術を持ち、さらにアメリカのベンチャーEVメーカーの雄、テスラモーターズにも出資、共同開発契約という形での囲い込みも行なっている。
そうは言っても、三菱がi-MiEVを、日産がリーフを先に発売したではないか──そう指摘するのは簡単だ。
しかし、トヨタはいかにもトヨタ的に、充電などのインフラが充分整っていない現状での発売は得策ではない──とでも考えているのだろう──慎重なのだ。
それに、70%の減収減益とはいえ、商売自体はまだまだHEVで回せている。
もしかすると、3.11以降のトヨタは、EVとHEVの将来について、洞ヶ峠を決め込んでいるのかもしれない。
一方の日産は、出してしまった以上、EVこそエコだと押し出していくしかない。
もっとも、トヨタも日産も、実に経団連的に原発推進派でもあるのだけれど。
“パパのクルマ”需要が根強いトミカ、もちろんリーフもラインナップ。
スケールエフェクトが効いているのか、実写を目の当たりにした時の“にゅろーん”と間延びした印象が低められているようだ。