Love Letter ★★☆☆☆(1995/日)

casa_kyojin2012-02-04


メレンゲのようにフワフワな質感の映像は、いかにも岩井俊二的。
捉えどころのない映像が、情景を曖昧なデッサンのように切り取る。

そうした絵作りは、まさにあのCMやあのPVで見たようなタッチ。
それ自体ユニークで面白いのはたしかにしても、映画としては肝心の何かが欠け落ちている印象がある。

韓国ではこの映画の人気がとても高く、ラブストーリーとして「八月のクリスマス」「イル・マーレ」並べて語られたりもするという。

しかし、韓国の二作品との大きな違いは、登場人物に感じる“体温”のようなものの存在だと思う。


例えば、ヒロインの博子(中山美穂)は、茂(豊川悦司)を自分の都合だけで振り回しいるように見える。
しかし、茂にしても、その“無償の愛”が一方通行すぎて、どうにもリアリティが伝わってこない。

だから、博子も茂も──そして、死んだ樹も、誰をどう愛しているのか、感じ取るのが難しい。


この作品では、キャラクターの存在や言動が、なんとも観念的で、感情移入以前の問題として、何を考えているのか戸惑ってしまうことが多すぎた。


また作中には“樹の死”が観客に対するトラップとして仕掛けられているが、それに対する博子と樹の心の動きが、例によって見えてこない。

樹は樹の死を知らない──という演出上の都合、詐術もあるかもしれないにしても、やはり博子というキャラクターが、どうにも見えて来なかった。


そもそも、この映画の演出の中心、中山美穂が二役を演じていることが、物語の構造として致命的な欠陥となっているのだから、この作品、そもそも初手から立ちゆかなくなっていたのだ。

樹と樹が同姓同名であることは、もちろん大前提として必要だ。
しかし、博子と樹が“中山美穂”であることに、どんな必然性だあるのだろう。

もし、ラストに登場する「ラブレター」のためだった──というのであれば、無用の悪者を一人作っただけだろう。
「樹が博子を好きになったのは、初恋の人に瓜二つだったから」と言い立てたいとでも?
それではプロットとしてあまりに薄っぺらいし、人情としてもあまりに酷薄だ。






こういう話をするときに、自身の経験律に落としこむのは矮小化でしかないのはわかってはいるが、僕自信の経験を少し語らせて欲しい。

──じつは僕も、恋人を死で失ったことがある。


しかし、僕が博子のような心の動きを持ったことは、ほとんどなかった。

また、茂のようなやさしさで接してくれた人もいなかったわけではない。
でも、本当の意味で救いや赦しになったのは、それとは真逆のベクトルでつきあってくれた人たちだった。

そのように、僕にとってのこの映画は、自身の経験からはあまりにも遠すぎることばかりだったのだ。

それもまた、僕がこの作品に距離を感じてしまう理由となってしまっている・



たしかに、映像は美しかった。
しかし、映画とは、物語であっても、単なる映像詩や環境映像ではないはずだ。

心の無い映画、体温のない映画を、評価することは難しい。

※北海道出身者としてのメモ

・あの程度の雪で救急車やタクシーが来なくなる「小樽市内」は、ありえない。
・病院まで走って40分? それに、病院まで車に乗せてくれるような近所の人もいない?
 小樽はアラスカやシベリアの開拓村ではない。
 そもそも、北海道で家族の誰も免許を持ってない家庭なんて、まずあり得ない。
・貯炭式のストーブ! あんなに古い作りの家は、どんなに引っぱっても1970年代が限界だろう。


ここまでやるとなると、シナリオの都合が徹底して優先されたか、パラレルワールドの話と割り切ったかの、どちらかだろう。

ブランディングのためだけに、小樽の名前を軽々しく使ってほしくなかったなあと、思ったりはする。
でも、小樽はこの当時、韓国からの観光客がぐっと増えたというので、地元としてのメリットもあったということか。


■ Love Letter(DVD)