ローカルビジネスとメジャー指向

casa_kyojin2012-02-03


松任谷由実の東京、横浜(via 第三京浜)といった話(■拙ブログ:[entertainment] 東京ローカルとしてのユーミン)をツイートしていたら、メンションがつき、そこからちょっとしたやりとりに。

話は中島みゆき、そしてDREAMS COME TRUEの北海道性──といったところにも広がった(■togetter:東京ローカルとしてのユーミン、そして北海道の中島みゆき、ドリカム

ユーミンがかつて、東京ローカルな視点を持つミュージシャンだったとして、それでは中島みゆきに、北海道ローカルの視点はあるのだろうか?


中島みゆきは、北海道・札幌市の出身で、道東の帯広の高校に進学。大学時代を札幌で過ごした。
例えば、1977年のアルバム「あ・り・が・と・う(上画像)」には、北海道大学のそばにかつてあった喫茶店「ライフ」がモデルとなった「店の名はライフ」という曲が収められている。


北海道出身の僕は、同郷人としての中島みゆきに、シンパシーを感じる部分は多かった。
彼女の作品には、極めて北海道的というか、札幌的なものが感じられたものだ。

また、作中に登場する北海道の場所や風物といったディテール以上に、その叙情の中に、冬の北海道の鉛色の空の奥底で、大粒の雪を生み出している底しれぬ闇──といったものの存在を感じたりもしていた。

ただし──それは、81年にオリコンのシングルチャートでトップに立った「悪女」以前の作品に対し、強く思うことだ。

昨日は、ユーミンが東京ローカルの視点を、普遍化の過程の中で失った、あるいは昇華していった、といった話を書いたけれど、中島みゆきもまた、同じような道筋をたどったのかもしれない。



一方、同じ北海道出身のミュージシャンでも、ドリカムやGLAYといったあたりに、北海道的なものを感じたことは、ほとんどなかった。

彼らはマーケティングとして、そういう商売をしていない、ということもあるのかもしれない。

あるいは、中島みゆきから時代がずいぶん下がり、世代的な状況として、日本全国の風景が何処もかしこも、同じようなロードサイド店に席巻されてしまったこととも、無縁ではないような気もする。

また、避けられない要素として、北海道における地理的な隔離と、文化的な差異もあるだろう──とにかく、北海道は広い。

内陸なのか、海なのか、地理的条件は東西南北でガラリと違う。
また、ほんの四半世紀前ですら、充分な道路網、流通網が整備されていなかった*1ので、人や物の行き来は活発ではなかった。

となると、距離が離れることで、言葉や文化、習慣は大きく異なる。
そして、その町、地域が、ルーツとして本州の何処の地方を持つのか──という要素も加わる。


中島みゆきとドリカムの吉田美和は、じつは帯広市の同じ高校の同窓だ。
しかし、札幌生まれで、後に札幌の大学に進んだ中島と、道東の池田町出身で帯広の高校に進んだ吉田では、その背景がずいぶんと異なる。

また、こうして“北海道論”を言い立てる僕にしても、札幌にやや近い美唄市(道央)の出身で、函館(道南)の高校に進学──と、北海道民として一般的な背景を持っているとは言いがたい。

ここでカギになるのは、北海道的な共通文化、共通認識としての札幌の存在だ。

かつての中島みゆきが持っていた北海道的普遍性は、札幌で生まれ、学生時代を過ごしたことがバックグラウンドにあると考えていいと思う。

北海道における札幌とは、ローカルメディアの中心であり、かつ文化的な最大公約数という部分も担っているのだ。


ドリカムにも「LAT.43°N」といった札幌そのものが登場する曲がある。
しかし、それに対する感情は、ポジティブなものではあっても、どちらかというとユーミンの盛岡や金沢を歌ったご当地ソングに対するような印象に近い。
そこには、ローカル性というよりはむしろ、鳥瞰、俯瞰した引いた視点があるのだと思う。

しかし、彼らのファンの中には“吉田美和=北海道、冬”というイメージもあるという。

地理的な隔離や、いわば“民族の十字路”といった要素が内在する北海道の中からは、かえってそうした“キーワード”としてのドリカム像──といったものが見えにくいのかな、とも思った。



一方のGLAYは、メンバーのほとんどが道南の函館の出身だ。

僕はその当時、函館で同じ高校生として、彼らと市電やバスで乗り合わせたこともあったかもしれないくらいなのだけれど、楽曲を通じ、彼らと何かを共有していると思えたことは無かった。

例えば「Winter, again」のように ♪歴史の深い手にひかれて──といった一節をして、その舞台となっている北国の何処かを、函館であると恣意的に解釈をできるものもある。

この曲は、TAKUROが故郷の冬を思い浮かべて書いたとも言われているが、この時点で既に、高いレベルでの普遍化が進んでいる印象が強い。

実際、この曲から二年さかのぼる、彼らにとっての初ミリオンとなった「HOWEVER」でも、♪この地球(ほし)で生まれて──と、その世界は既に圧倒的な昇華を見せている。

ローカルビジネスを指向しない、あるいはメジャー指向というのは、つまりはこういうことなのだろう。



ここで、松山千春にも触れておこう。

彼は、北海道の一地域としての足寄、道東のイメージを大きく掲げている人ではあっても、それは、北海道としての普遍性とはまた別のものだろう。
彼は、地域性から出て、共通認識に遷移していったのではなく、叙情派フォークという限定された世界の中で、普遍性を獲得した人ではないだろうか。

例えば、松山の同郷同窓の先輩である鈴木宗男が率いる新党大地のテーマソングでもある「大空と大地の中で」の歌詞に、♪果てしない大空と広い大地のその中で──という一節がある。

しかし、その「広い大地」を「地平線が見えるような風景」と狭義に考えたとき、それは北海道での一般的な風景ではなく、誰もが見たことのある普遍的なイメージとは言いがたい。



ところで、僕は、ミュージシャンやアーティスト、有名人に限らず──

“北海道出身者は目が笑っていない説”

──という個人的な説を、長年提唱(?)している。

もっとも、まとめて書いたことがあるわけではなく、せいぜい居酒屋トークどまりの話ではあるけれど。

これは例えば、大泉洋玉置浩二安住紳一郎といった人たちの話だし、他にも実例はいくらでもある。

北海道とそこに暮らす人々は、大陸的であるとか、おおらかであるとか、そうしたポジティブ評価をされることが多いし、たしかにそれは事実だと思う。

しかし、その一方で、半年自転車に乗れないような閉ざされた世界で、人は心から笑えるのだろうか──といった閉塞感の存在もまた、強く感じてしまうのだ。


■DREAMS COME TRUE「LOVE GOES ON…」

「LAT.43°N 〜forty-three degrees north latitude〜」は、この2ndアルバムに収録され、同時発売されたシングル曲。

「未来予想図 II」を高校生の時に作っていたという吉田美和に、こうした“引きの視点”が既にあったのは、当然のことなのかもしれない。


♪一緒に見る約束──と、歌詞中に登場するホワイトイルミネーション*2とは、札幌の年中行事の一つ。
さっぽろ雪まつりの会場でもある大通公園が、11月から雪まつりの2月まで、暖かなイルミネーションの光で、大々的に彩られる。

このイベント、東京ディズニーランドや、井の頭公園のボート、横浜の港の見える丘公園と同じように、地元では「ここでデートすると別れる」という負のジンクスが語られている。


「別れちゃってもいいの?」──なんてイタズラっぽく笑う彼女と、寒い冬に手をつないで歩いたのは……ずいぶん遠い昔の話。

昨日の“山手のドルフィン”もそうだけれど、ラブソングのことをあれこれ考えていたら、ずいぶんひさしぶりの思い出が、引き出しから色々こぼれてきてしまったようだ。

*1:内陸部の田舎育ちの僕は、子供の頃、解凍モノではない刺身を食べたことがなかった

*2:さっぽろホワイトイルミネーション