「寝ずの番」★2/5

casa_kyojin2006-04-18


シネスイッチの「ニュー・シネマ・パラダイス」を最終日最終回に観に行き、この作品の予告編に出会った。

いやもうクダラナイったらありゃしない!(ホメてます)

──というわけで、昨日は高岡早紀に終始しちゃいましたが、今日こそは映画「寝ずの番」の話です。


でも、「ソソが見たい」にしても「らくだ」にしても、そこまで見せちゃっていいの? なんて予告編だったことには「?」とは思ってたわけです。

しかしまあ……あの予告編が尺のキッチリ半分しか語ってないとはなあ。


とにかく徹底したバカ騒ぎに終始するのは、さすがのマキノ……というか津川雅彦
伊丹十三の『あげまん』の記者会見のときに「あげまん、というのは『間を上げる』という意味で、みなさんの想像されているようなものじゃない」みたいにシレっとコメントしてたのを思い出す。


ところが、バカとしてはとんでもない一級品だったのだけれど、映画としてはどうにもツメが欠けていたのが残念でしかたがない。
天才バカボン」がバカとしてもマンガとしても一級品だと思えば、やっぱりこの作品は片手落ちだったと思う。
映画としての取り組みや作り方に、どうにも不充分な何かを感じてしまうことが多かった。
バカとしては文句のつけどころが無く最高だっただけに、残念無念でしかたがない。

まず、コメディなのに、それもナンセンスコメディなのに二時間超の尺は長過ぎる。どうして「らくだ」で大団円……ではいけなかったのだろう? というのが一つ。

それから、ちょっと絵作りや語り口が古いんじゃないか、という気がした。
第一回監督作品と仰々しく大書きしているわりには、勢いや新鮮さにはどうにも欠ける(もちろん「新人」って歳でもキャリアでもないのだけれど)

やたらと引いた長回しの古くささや、カット割りの少なさやテンポの遅さ。早回しや逆回しみたいなローテク演出……といったあれやこれやは、一度気になりだすとどうにも止まらない。
元々のマキノ映画自体が「こんなカンジ」だったとしても、「マキノ」ブランドを伝統芸能みたいに使い回してもしかたないだろう。

富司純子が自分の通夜に現れて踊り出すシーンのストップモーション(っていうか止め絵)だって、一門一同の絵はホントに止めちゃって、合成したらいいだけに見えた。
ガマン大会の最中に、誰かの手がフラフラ揺れるところを大画面で見せられてもしかたないわけですよ。



そもそも、初監督作品の題材が葬式。それも伊丹映画の大常連の津川雅彦が……ということ自体、構造的にデジャブを感じさせるところがある。
あえてぶつけてきて、それが勝負になっていたのならアッパレなのだけれど、はたしてどうか。

監督・マキノ雅彦は、俳優・津川雅彦ほどには突き抜けてはいなかったな、という印象が、かえって目立ったことは大きなマイナスだろう。


例えば「おソソ」シークエンスのときの中井貴一木村佳乃のカラミのシーン。
木村佳乃が生パンツを脱いで(少なくともそう報道されている)、神棚からあれやこれが落っこちたくらいで「お茶」を濁されてもなあ。

こういう内容の映画であれば、伊丹十三ならもっと正面から濡れ場にしていただろう(それを「お葬式」で担当してたのが高瀬春菜だろうし)

セクシー“全権担当”の高岡早紀にしても、伊丹十三なら「ミンボーの女」でAV女優の朝岡実嶺を持ってきてまで、オッパイ出させて徹底した部分じゃないの? とか思ってしまう。

監督マキノ雅彦は、どうにも筆が中途半端なところで止まっちゃってるんじゃないか、と思うのはそのへん。
そして本人はもっと突っ走りたがってるんじゃないの? と邪推もしてしまう。

でも、そのヘンをガマンして事務所だのなんだのの関係各方面に配慮したかいあって、葬式シーンには浅丘ルリ子さんも勘三郎さんもカメオ出演してくれましたよ、ってことなのかもしれない(でも、“涙の”米倉涼子はどうなんだ? あ、銀座か祇園のママってことか……今気づいた)

あと……ゆきえちゃんは?



残念、本当に残念。

バカ映画としてはスペシャルだっただけに、心の底から残念。
でも、春歌をたくさん覚えさせてくれたことには素直に感謝!



後日談。

同好の氏に、伊丹十三の出演映画「日本春歌考(大島渚監督)」の存在を聞く。

う〜ん……。


■Wakeful Night(「寝ずの番」北米版)

日本国内ではDVDが絶版の模様。
北米で公開されていたのかどうかはさておき、DVDが発売されている模様。