A.I. ★★★☆☆

casa_kyojin2011-10-18


鑑賞する側の前提条件として不可欠なもの、「キリスト教的世界観と照らし合わせる目」がなければ、単なるセンチメンタルかホラーになってしまう可能性も。
日本では“感傷”よりも、多くの“困惑”が向けられてしまうことになったのは、ある意味当然のこと。


2001年宇宙の旅」とも相通じる聖書的世界観。
キューブリックは、現代の神話のストーリーテラーになりたかったのだろうか。

そして今回、作品のベースになっているのは「新約聖書」的世界ではなく、旧約のそれだった。

つまり、アメリカで一般的なプロテスタントよりは、よりカトリック色が濃く、さらにはユダヤ教イスラム教と共通の聖典の価値観ということになる。

というわけで、一般的な日本人の持つ宗教観や世界観、そして、それらとの隔絶、断絶を考えると、多くの観客が抱えることになった「?」の存在は当然だろう。
その結果、“お涙頂戴”的な単純な感傷が向けられることになったとしても、しかたのないことだったのかもしれない。


この旧約世界は、とりわけ「創世記」との類似、相似が見られる。
これは、新しいハードウェアとしての人類、文明に対する、新しいソフトウェアとしての「“新”創世記」といえるのかもしれない。

そこに、ヤーウェはいるのか?

あるいは、スピルバーグ七つの大罪の一つを犯してしまったのではないか?

──本作が「バベルの塔」になっていないことを祈りたい。


スピルバーグが“創造”した世界の果てでは、どんな獣が涙を流しているのだろう。



また、個々のエピソードを個別に取り上げると、映像的な表現の「幼児性」に困惑させられてしまうこともしばしばだった。

例えば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」であればそれがプラスに働く部分は多かったと思う。

しかし、このように壮大な神話的世界に、ロボット解体ショーの中華世界的拷問のドギツサや、オートバイの造形のマンガ的モデファイはそぐわない。


そして、一番「幼児性」が現れていたのは、もしかしたら再三協調される母親の「乳房」の描写かもしれない。

彼の“母親”は、イブニングドレス等々、ひときわ乳房を強調するスタイルで登場する。

それは、母性を求めるデヴィッドの憧れの象徴かとも思ったが、2000年後に復活した母親は(少なくとも)半裸でベッドに横たわっていたのだ。

となると、彼の求めていたものを「母性愛」としたかったのか、もっと俗っぽい概念としての「愛」としたかったのかが、わからなくなってしまう。
もっとはっきりいえば、復活した母親の登場シーンは、ちょっとエロっぽかった。


ともあれ、「作り手の愛情の対象であり、憎悪の対象」という「レプリカとしての矛盾」を、誕生直後に「克服」しなければいけなかった「鉄腕アトム」と比較すると、ロボット三原則から遠く離れたデヴィットの自己崩壊っぷりは、ともすると見苦しいくらいだ。

もっとも、2000年かけてコケの一念岩をも通す……とできたのであれば、その強大な我執は、リスペクトの対象に成りうるのかもしれない。



このように、色々と考えさせられる作品ではあったが、それでもやはり、いきなり遠い未来に時間が飛んでしまうという展開は、やはり“投げっぱなしジャーマン”ではないだろうか(それを豪快だという人もいれば、美意識に欠けるという人もいる)

ともあれ、ほとんどの観客が、ひどく驚かされてしまったことだけは、間違いない。

しかし、そのサプライズが、カタルシスに結びついたかどうかは、どうにも疑問だけれど。


■A.I.

主役の“天才子役”ハーレイ・ジョエル・オスメントくんを最近見ないけど──それもそのはず、18歳になった2006年に、飲酒&違法運転で逮捕。そしてまもなく、マリファナ所持も発覚。
それにより、三年間の保護観察処分になっていたという。

ファーロングくんや、カルキンくんみたいになっちゃったなあ……といったところだけど、未成年のうちから逮捕、って意味では一際早い。

彼らのように、ドリュー・バリモアのように、帰ってきてくれることを祈りたい。