「E.T.」★☆☆☆☆

casa_kyojin2011-10-29


2002年、「E.T. 20周年アニバーサリー特別版」が公開されました。

パペットや着ぐるみだけで表現されていたE.T.を、最新のCGを用いて撮り直したりしたもので、この再公開だけで約4億6千万ドルの興行収入を記録しています(オリジナル版公開当時はの興収は約8億ドル)

E.T.の登場シーンだけではなく、子供たちの追跡劇の場面で、警察官の手から拳銃やショットガンが取り除かれ、トランシーバーなどに変更するといった処理も、CGで加えられています。

また「銃はやめて。相手は子供なのよ」というセリフも削除されました。


「物語の本質は何も変わっていない。みんなの知っているE.T.そのもの(スピルバーグ日本テレビ:ザ・ワイド」)」

それなら何故、オリジナルの再公開ではいけなかったのか──?
ショットガンを無線機に置き換えた場面のひとつは、予告編でも使われました。

スピルバーグその人は、「子供たちを傷つけてしまうような武器を警官が持っていることが耐えられなかった」と語っています。



その警官が“子供たちを撃ってしまう”可能性はあったのか──?

こういう考え方自体、警察官という職務や、警官個人の人格をないがしろにしすぎだと思います。

宇宙服のような防護服を着た科学者たちが、エリオットの家にやってきたのも、警官が出動して道路を封鎖したのも、子供たちを未知の脅威……たとえばバイオハザードかもしれない地球外生物と、その危険性から彼らを守るためではなかったのでしょうか。

E.T.を子供たちから取り上げようとする“悪者”として彼等が“描写”されるのは、子供たちの視線で描かれるストーリーであることによる必然です。
そして、E.T.は大人たちのそんな取り越し苦労とは無縁の存在であるからこそ、その対立構造が意味を持ちます。

地球外生物と出会った時、あの子供たちのような無垢なスタンスでありたい──そのメッセージはオリジナルでも充分に伝わってきました。

しかし、製作者その人が、警官を子供たちと対立する存在であるかのように捉えているのであれば、疑問に感じます。


ごくありきたりの鉢植えの植物ですら、国境を越えるときには検疫が必要です。
ましてや重大なバイオハザードかもしれない地球外生物に対し、関係当局が職務を果たそうとするのは、当然のことでしょう。
しかし、スピルバーグは、警官のショットガンは“子供たちを傷つけるかもしれない”と言うのです。

子供たちを守るための銃が、逆に彼らと傷つけてしまう可能性──それはもちろんあります。
しかし、それは確率論、数学の話であって、物事の本質ではありません。
まして作り手であるスピルバーグその人は、この物語の造物主、神として、その“可能性”をコントロールできる立場のはずです。

子供たちの純粋性を、メッセージとして歌い上げることに異論はありません。
しかし、作り手が子供たちに過剰に感情移入してしまうのは、贔屓の引き倒しでしょう。



E.T.が着ぐるみだったとしても、レールの上を動く赤いライトだったとしても、あのときの気持ちはきっとかわらない……。
だから、ニュープリント再公開なら素直に喜んだでしょう。

でも、再公開と、付加価値によるビジネス。
そして、PC的に変更された表現には、疑問を感じました。

オリジナルには★4つ。
今回の新版には★ひとつの評価です。


DVD「E.T. コレクターズ・エディション」

ジャケットにも使われているこの名場面も、CGの手が入ったシーンの一つ。
服が風になびいていることに注目。

このコレクターズ・エディションには、新バージョンだけでなく、オリジナル版のディスクも含まれている。