スーパーから生クリームが消えた! 脱メタボ“特需”でバカ売れ

casa_kyojin2012-02-17


売り切れ続出の生クリームだが、1食でコップ数杯飲むのはたいへんだ(画像はイメージです)

インフルエンザの予防効果があるとされるヨーグルトが品切れ状態だが、今後は生クリームが注目されている。
メタボリック症候群の改善に有効という研究発表を受け、売り上げが好調で、デザートなどの加工食品も通常の三倍以上の売れ行きで品切れも相次いでいる。
タカナツ乳業の株価は16日も昨年来高値を更新するなど、真冬の生クリームブームが起きている。

生クリームの脂肪燃焼効果は東京農業大などの研究グループが10日付の米オンライン科学誌に掲載された。
メタボは中性脂肪が増加する脂質異常が一因だが、研究グループは生クリームそのものや加工された食品から、脂肪を燃焼させる遺伝子を活性化する新成分を発見した。
研究グループの川田利明東農大教授(酪農学)は「生クリームの成分で直接的に脂肪を燃やす効果が見られたのは初めて」としている。

研究はマウス実験によるものだが、人間の食事に換算すると、生クリームなら一食にコップ二〜三杯で効果があるという。
また、ホイップクリームなどに加工され、成分が凝縮された状態なら、一食にシュークリーム一個で効果が出るという試算もある*1

これが先週末に報じられると、店頭では生クリームやスイーツの売れ行きが上昇。千葉県内のスーパーでは「品切れになった」(県内の主婦)
タカナツ乳業によると、「店頭で通常の三倍以上の販売量で、それ以上の発注が来ている。商品によっては品切れになっているものもあります」(広報グループ)
ただ、製造工程上、一気に増産するのは簡単ではないという。

「いつ、どのぐらい飲めばいいのかという問い合わせも相次いでいます。うちが発表したものではないのですが…」(同)

戸惑うほどの話題に株式市場も反応し、16日午前の時点で、タカナツ乳業の株価は8営業日続伸、1,606円の昨年来高値を更新する場面もあった。

毎日の食卓にヨーグルトと生クリームという家庭が増えるのか。







※このカテゴリー [newstale] は、news +fairytale ──折々のトピックを題材にした、パスティーシュによる風刺です。

タカナシ乳業の社内ネットワークからご来訪のみなさん、アクセスありがとうございました。

このエントリーは、当ブログに時折アップしている[newstale]──“嘘ニュース”として書かれたものでした。

※オリジナルは、コチラ
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■スーパーからトマトが消えた!脱メタボ“特需”でバカ売れ〜
インフルエンザの予防効果があるとされるヨーグルトが品切れ状態だが、今後はトマトが注目されている。メタボリック症候群の改善に有効という研究発表を受け、売り上げが好調で、ジュースも通常の3倍以上の売れ行きで品切れも相次いでいる。カゴメの株価は16日も昨年来高値を更新するなど、真冬のトマトブームが起きている。


■よつ葉無塩バター(よつ葉乳業)450g

バターで有名な北海道のよつ葉乳業には、無調整乳で脂肪分4.0%の商品がある。
調整乳では味わえない素直な濃厚さが美味しい。

東京では、イトーヨーカドーで販売されていたのを見たことがある。



──ヨーグルトでインフルエンザが
──トマトでメタボが

日本人のレミングなノリは、納豆ダイエットの頃(■拙ブログ:プラチナな納豆 [topic] “視聴者”と読者の“民度”)からちっとも変わっていない。

自分の頭で考えようともしない民度情報リテラシーでは、生クリームがダイエットに効く! なんて言われても、信じてしまうのだろうか。

狂言「瑞典」

casa_kyojin2012-02-11


瑞典とは──

1. スウェーデン王国スウェーデンおうこく、スウェーデン語: Konungariket Sverige)の通称、スウェーデンの漢字表記。スウェーデンを参照のこと。

2. 読みは、ずいてん。狂言の演目の一つ。1.の特産物であるシュールストレミング (Surströmming:ニシンを塩漬けにして缶の中で発酵させた、漬物の一種)を題材に用いている。本項目で説明。

瑞典(ずいてん)とは、狂言の演目の一つ。小名狂言に分類される。

同じく狂言の演目である「附子(ぶす)」の後日譚。
使用人の太郎冠者と次郎冠者に貴重な砂糖を食べつくされた上、掛け軸や茶碗を傷つけられてしまった主が、二人を懲らしめようとする様子を滑稽に描く。


注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。


・あらすじ

この演目の前段である「附子」は、桶の中の「吹く風に当たってさえも滅却(命を失うの意)されるほどの毒」である附子(じつは主が大事に隠していた、当時の貴重品である砂糖)を巡る物語。

後段にあたるこちらも「桶の中の附子」が話題の中心となる。

主は「今度こそ桶には猛毒の附子が入っているので近づくな」と言い置いて外出する。
留守番を言い付かった太郎冠者と次郎冠者は、今度も中には砂糖が入っているのだろうと、期待して桶の中を覗く。
ところが、桶の中には、異国の文字が書かれた小さな包みが収められていた。

再び誘惑に負けた太郎冠者が、苦心してその包みを開けると、途端に中から激しい勢いで液体が噴き出し、あたりは猛烈な臭気に包まれる。
二人は、ついに附子に滅却されてしまうと、死の恐怖におののく。
しかし、包みの正体は、二人が再び桶の中を覗くであろうことを見越した主が、懲らしめのために仕込んだ「臭霊酢(しゅれいす=シュールストレミング)」
世界一臭いといわれる、瑞典スウェーデン)渡りの缶詰だった。

二人が慌てふためく様子を、こっそりと物陰からうかがっていた主だったが、あまりのおかしさに、つい笑い声をあげてしまう。
ところが、その声に驚いた太郎冠者は、振り向いた途端に主にも猛毒の附子(じつは臭霊酢の内容物)を浴びせてしまうのだった。

腐臭騒ぎの巻き添えになってしまい、騒ぎ出した主の尋常ではない様子を見て、さらに正体を失っていく二人。
組んず解れつとなった三人の、阿鼻叫喚の様相がクライマックスとなる。

※参考:シュールストレミング開封時の様子動画リンク


狂言における「瑞典

現代においては、ごく一部の流派にしか伝わっておらず、歴史的意義としての価値が必ずしも高いとされている演目ではない。
しかし、臭霊酢が勢い良く噴き出す様子が所作のみで表現されることや、太郎冠者と次郎冠者が交互に舞う乱拍子、主を加えた三人で同じ振りの舞を揃える場面など、能の複数の演目(「道成寺」「二人静」など)がパロディーとして盛り込まれ、高度な技術が求められる重い習いとされている。
流派によっては、慌てふためく太郎冠者が、桶を頭上に高く掲げ、飛び上がって頭を突き入れ、被った桶が外れたときには痩男の面をつけている、という小書きが加えられる場合もある(「道成寺」の変わり身の翻案)
またこの演目は、不条理な喜劇でありながら祝言性を持たされていることが特徴で、華やかな装束や、シャギリ止め(あるいは笑い止め)といった要素にそれが見て取れる。

瑞典と「臭い仲」

瑞典」には、他の演目のパロディーが演出として登場するが、「八尾」もそのひとつ。
ただし、原典の閻魔と八尾の男が翻案されているのではなく、かつて閻魔と八尾の地蔵が衆道の関係にあったことを台詞や謡が示唆。
「附子」の後日譚が「八尾」の前日譚を語るというトリッキーな構造になっている。
また、シテ(太郎冠者であり閻魔)とアド(次郎冠者であり地蔵)が、臭霊酢にまみれながらも仲睦まじい様子を見せる所作から転じて「怪しい関係」を示唆する言葉「臭い仲」が生まれた*1

・大衆演芸と現代における「瑞典

江戸時代には、当時流行していた見世物「水芸」を取り入れた演出で、寄席で演じられていたとされる資料が残っているが、現代には伝わっていない*2

現代では、サイレントコメディー・デュオの、が〜まるちょばが、「瑞典」を翻案したと思われる演目を披露することがある。
演者が二人のため、登場人物の役割や所作などにアレンジが加えられているが「突然吹き出した液体が巻き起こすスラップスティック」という基本構造は変わらない。
また、北欧などシュールストレミングの認知度が高い土地で演じられる場合は、カバン(原典の桶の翻案)から“それ”と思しき缶詰が登場する演出になっていることもある。


・臭霊酢の伝来

日本にイエズス会の修道士を通してシュールストレミングがもたらされたのは、室町時代だった*3
ポルトガルやイギリスといった国からもたらされた品々が「唐わたり」として珍重されていたこの時代、直接の来航がなかった国々のそれは、より一層貴重で、珍重される存在だった。
室町期から江戸期にかけ、当時の最新芸能であった能、狂言が、そうした風物を積極的に取り入れていた様子が、こうした演目の存在からもうかがえる*4


■シュールストレミング

飛行機の積荷にできない(気圧の関係で破裂する!)船便のコンテナでしか輸入できないというキケン! な食品。

*1:奇しくも、英語で「臭い仲」を表現すると "fishy(魚臭い) relationship" となる

*2:新人物往来社「大江戸芸能図会」

*3:独立行政法人 北方圏交流推進振興機構「スウェーデンと日本の歴史 3」

*4:民明書房「能という“前衛芸術”」

坂本龍一のTVCMから考えたEVと原発



「自分がね、CO2をどのくらい出して走ってるか、いつも気になってたんですよ。
この車、そこが完全にゼロですよね」

坂本龍一が、日産の電気自動車、リーフのCMで、そんなことを言っている。

電気自動車、EVが“走行時”に二酸化炭素を排出しないのは事実だ。

しかし、電気そのもののが化石燃料に由来する場合など、EVそのものがCO2フリーというわけではない。

だからといって、EVも製造時にCO2を出すし、化石燃料由来の電気を使うじゃないか! と批判するだけではナンセンスだ。

EVと内燃機関を持つ車を比較した時、二酸化炭素や窒素化合物(NOX)といった排出物の観点からの効率には、まだまだ差がある。

EVはCO2やNOXがゼロではないが、エコ的な数値に優れているのは事実だ。

また、“生涯排出CO2”といった計算を持ち出したがる人には、市街地を走る車が排気ガスを出さない、というEVについての重要な事実に無関心なことが多いのもひっかかる。

それでは、あのCMは何故、EV=CO2フリーというイメージ戦略を殊更行おうとしたのか。

これは、EVで地球の大気全体をクリーンにするためには、原子力発電が必要でしょう? 重油LNGを燃やすわけにはいかないんですから──という中長期的プロパガンダではないだろうか。

しかし──「原発」というキーワードを便利に使おうとするのは、原子力ムラや推進派だけではない。

原発側も、例えば「オール電化やEVは原子力発電を推進拡大するための尖兵だ」と言い立ててきた。

“電力の安定供給のためにもっと原発を!”

原発は即刻廃止! こどもの未来を守れ!”

こうした両極端の旗印は、往々にして現実的な議論を伴わなかったり、あるいは自分たちに都合の悪い部分を隠していたりと、そのヴィジョンが現実と乖離していることは多い。

隠蔽体質は、何も政府や原子力ムラの専売特許ではない。

原発な人たちも「EVだって製造ラインや発電の段階で二酸化炭素を出している!」とは言っても、EVが街中に排気ガスを出さない、という大きな長所を持つことに触れようとしない。

推進、反対の両極端の二元論は、3.11後のリアルな現実の前では、どちらも絵に描いた餅だ。

未来に至るには、ヴィジョンだけではなく、ロードマップが必要になる。

しかし、原発を推進するも反対するも、利権や反日といった目先の目的にばかり熱心で、国家百年の計など、誰も考えていないかのようだ。

現在のモードは、もちろん原発廃止の潮流にある。

しかしその先には、電力供給をどう置き換えていくのか。そして核燃料サイクル体制をどう終わらせるのか、そうした困難な現実もまた、大きく立ちはだかってくる。

メガソーラー、風力、バイオマスといった自然エネルギーに、今すぐ原発に取って代わるポテンシャルは無い。

今々の現実として、家庭や集合住宅へのソーラーパネルの設置推進による最低限の電力供給や、高効率LNG火力発電の建設といった足下から始めなければ、“こどもたちのための未来”どころか、今日と明日が立ちゆかなくなっていく。

こと、この点において、反原発国民投票というムーブメントには疑問を感じている。

脱原発──それが3.11後の日本のモードなのは、事実だ。。

でもそのあと、どうするのか、という未来への道筋を、誰がどう提示しているのだろうか。

彼らは「反対も推進も言わない。とにかく国民投票の実現を」──と言うけれど、スタート地点が反原発なのはもちろん、錚々たる顔ぶれの賛同人の名前を眺めたとき、その名と実には大きなズレがあるだろう。

実際、彼らの熱心なシンパの中には、エネルギーシフトにおける現実論や、反日、反体制運動としての反原発運動やデモへの批判を口にしようものなら、“東電のイヌ”といった指弾を浴びせてくる人もいる。

──彼らは一体、何と戦っているのだろうか。


さて、電気自動車のCMは、原発体制維持拡大のためのプロパガンダなのか?──という話に戻る。

そうした“政治利用”が始まった? とはいえ、まだまだ一般的ではないEVに対して、エコカーとしてのイメージを一身に体現しているのがハイブリッドカー(HEV)だ。

しかし、HEVというのは本当にエコで環境にやさしいクルマなのだろうか。

そもそも、エンジン車とEV両方の機関を持つHEVは、決して効率の良い形態ではない。

製造段階を含めた環境負荷も応分に高く、レアメタルの消費といった問題もある。

それらのコストは“低燃費”だけで相殺できるのだろうか。

さまざまな検証が加えられているが、特に初代プリウスについては、製造段階での環境負荷が大きく、低燃費だけではカバーしきれないという計算もできるようだ。

それでは、なぜトヨタは、その中途半端なエコカーであるプリウスの開発に血道を上げたのか。

ひとつの理由は、アルコール燃料や水素、燃料電池といった次世代自動車の時代が“来ることはない”という観測が比較的早く出ていたことだろう。

ガソリンの次は一足飛びにEVになる。自動車業界はかなり早い段階で、そう見ていた節がある。

そこで欧州メーカーは、現実的な選択としてクリーンディーゼルをEV時代までのリリーフ、繋ぎとした。

しかし、トヨタは、環境コストのトータルコストが決して低いわけでもないハイブリッドに行った。

これは、EVの時代に先鞭をつけるための“損して得取れ”だったのだろう。

鉄腕アトムが「21世紀に間に合いました」と宣言した初代プリウス

しかしこれが、なんとも微妙な代物だった。

車重が重いせいもあってか、実勢燃費は決して良くないし、乗り心地も悪い。

先年アメリカでバッシングされたブレーキの“抜け”なんて、もっともっとひどかった(僕も含め、記事には書けなかったけれど……)

初代プリウスにはこんな話もある。

出先でクルマを止めたら、バッテリーが異常な状態になったので、すぐ車から離れろ──というアラートが出た──というのだ。

この話、そういうアラートの文章が予め用意されていたことが、一番の驚きかもしれない。

トヨタはそんなふうに、ユーザーをテストベンチにしてまで、HEV(そしてその後に来るPHEV、EV)の開発を急いだ。

その無手勝流の理由は、次代の自動車業界をリードするため──だけではないだろう。

パナソニックソニー、GEやサムスンに、EVのキモを握らせないためでもあったはずだ。

また、ゼロックスIBMが、ベンチャー企業だったマイクロソフトAppleに、ついにはひっくり返されてしまったようなことが、次代の自動車業界で起こってしまえば大変だ。

EVはなにしろ部品点数が少なく、心臓となるモーターの購入や開発の容易さは、エンジンの比ではない。

つまり、トヨタは何手も先を打ったのだ。

またこのへんには、純粋なEVが市場を席巻することで大打撃を受けてしまう石油業界の思惑も複雑に関係してくるはずだ(参照:映画「誰が電気自動車を殺したか?」)

そして今──トヨタは、先年のプリウスバッシングはトヨタの技術を丸裸にするためのアメリカの陰謀だったのでは? といった話が出てくるほどの技術を持ち、さらにアメリカのベンチャーEVメーカーの雄、テスラモーターズにも出資、共同開発契約という形での囲い込みも行なっている。

そうは言っても、三菱がi-MiEVを、日産がリーフを先に発売したではないか──そう指摘するのは簡単だ。

しかし、トヨタはいかにもトヨタ的に、充電などのインフラが充分整っていない現状での発売は得策ではない──とでも考えているのだろう──慎重なのだ。

それに、70%の減収減益とはいえ、商売自体はまだまだHEVで回せている。

もしかすると、3.11以降のトヨタは、EVとHEVの将来について、洞ヶ峠を決め込んでいるのかもしれない。

一方の日産は、出してしまった以上、EVこそエコだと押し出していくしかない。

もっとも、トヨタも日産も、実に経団連的に原発推進派でもあるのだけれど。


■トミカ:日産 リーフ

“パパのクルマ”需要が根強いトミカ、もちろんリーフもラインナップ。

スケールエフェクトが効いているのか、実写を目の当たりにした時の“にゅろーん”と間延びした印象が低められているようだ。

Love Letter ★★☆☆☆(1995/日)

casa_kyojin2012-02-04


メレンゲのようにフワフワな質感の映像は、いかにも岩井俊二的。
捉えどころのない映像が、情景を曖昧なデッサンのように切り取る。

そうした絵作りは、まさにあのCMやあのPVで見たようなタッチ。
それ自体ユニークで面白いのはたしかにしても、映画としては肝心の何かが欠け落ちている印象がある。

韓国ではこの映画の人気がとても高く、ラブストーリーとして「八月のクリスマス」「イル・マーレ」並べて語られたりもするという。

しかし、韓国の二作品との大きな違いは、登場人物に感じる“体温”のようなものの存在だと思う。


例えば、ヒロインの博子(中山美穂)は、茂(豊川悦司)を自分の都合だけで振り回しいるように見える。
しかし、茂にしても、その“無償の愛”が一方通行すぎて、どうにもリアリティが伝わってこない。

だから、博子も茂も──そして、死んだ樹も、誰をどう愛しているのか、感じ取るのが難しい。


この作品では、キャラクターの存在や言動が、なんとも観念的で、感情移入以前の問題として、何を考えているのか戸惑ってしまうことが多すぎた。


また作中には“樹の死”が観客に対するトラップとして仕掛けられているが、それに対する博子と樹の心の動きが、例によって見えてこない。

樹は樹の死を知らない──という演出上の都合、詐術もあるかもしれないにしても、やはり博子というキャラクターが、どうにも見えて来なかった。


そもそも、この映画の演出の中心、中山美穂が二役を演じていることが、物語の構造として致命的な欠陥となっているのだから、この作品、そもそも初手から立ちゆかなくなっていたのだ。

樹と樹が同姓同名であることは、もちろん大前提として必要だ。
しかし、博子と樹が“中山美穂”であることに、どんな必然性だあるのだろう。

もし、ラストに登場する「ラブレター」のためだった──というのであれば、無用の悪者を一人作っただけだろう。
「樹が博子を好きになったのは、初恋の人に瓜二つだったから」と言い立てたいとでも?
それではプロットとしてあまりに薄っぺらいし、人情としてもあまりに酷薄だ。






こういう話をするときに、自身の経験律に落としこむのは矮小化でしかないのはわかってはいるが、僕自信の経験を少し語らせて欲しい。

──じつは僕も、恋人を死で失ったことがある。


しかし、僕が博子のような心の動きを持ったことは、ほとんどなかった。

また、茂のようなやさしさで接してくれた人もいなかったわけではない。
でも、本当の意味で救いや赦しになったのは、それとは真逆のベクトルでつきあってくれた人たちだった。

そのように、僕にとってのこの映画は、自身の経験からはあまりにも遠すぎることばかりだったのだ。

それもまた、僕がこの作品に距離を感じてしまう理由となってしまっている・



たしかに、映像は美しかった。
しかし、映画とは、物語であっても、単なる映像詩や環境映像ではないはずだ。

心の無い映画、体温のない映画を、評価することは難しい。

※北海道出身者としてのメモ

・あの程度の雪で救急車やタクシーが来なくなる「小樽市内」は、ありえない。
・病院まで走って40分? それに、病院まで車に乗せてくれるような近所の人もいない?
 小樽はアラスカやシベリアの開拓村ではない。
 そもそも、北海道で家族の誰も免許を持ってない家庭なんて、まずあり得ない。
・貯炭式のストーブ! あんなに古い作りの家は、どんなに引っぱっても1970年代が限界だろう。


ここまでやるとなると、シナリオの都合が徹底して優先されたか、パラレルワールドの話と割り切ったかの、どちらかだろう。

ブランディングのためだけに、小樽の名前を軽々しく使ってほしくなかったなあと、思ったりはする。
でも、小樽はこの当時、韓国からの観光客がぐっと増えたというので、地元としてのメリットもあったということか。


■ Love Letter(DVD)

ローカルビジネスとメジャー指向

casa_kyojin2012-02-03


松任谷由実の東京、横浜(via 第三京浜)といった話(■拙ブログ:[entertainment] 東京ローカルとしてのユーミン)をツイートしていたら、メンションがつき、そこからちょっとしたやりとりに。

話は中島みゆき、そしてDREAMS COME TRUEの北海道性──といったところにも広がった(■togetter:東京ローカルとしてのユーミン、そして北海道の中島みゆき、ドリカム

ユーミンがかつて、東京ローカルな視点を持つミュージシャンだったとして、それでは中島みゆきに、北海道ローカルの視点はあるのだろうか?


中島みゆきは、北海道・札幌市の出身で、道東の帯広の高校に進学。大学時代を札幌で過ごした。
例えば、1977年のアルバム「あ・り・が・と・う(上画像)」には、北海道大学のそばにかつてあった喫茶店「ライフ」がモデルとなった「店の名はライフ」という曲が収められている。


北海道出身の僕は、同郷人としての中島みゆきに、シンパシーを感じる部分は多かった。
彼女の作品には、極めて北海道的というか、札幌的なものが感じられたものだ。

また、作中に登場する北海道の場所や風物といったディテール以上に、その叙情の中に、冬の北海道の鉛色の空の奥底で、大粒の雪を生み出している底しれぬ闇──といったものの存在を感じたりもしていた。

ただし──それは、81年にオリコンのシングルチャートでトップに立った「悪女」以前の作品に対し、強く思うことだ。

昨日は、ユーミンが東京ローカルの視点を、普遍化の過程の中で失った、あるいは昇華していった、といった話を書いたけれど、中島みゆきもまた、同じような道筋をたどったのかもしれない。



一方、同じ北海道出身のミュージシャンでも、ドリカムやGLAYといったあたりに、北海道的なものを感じたことは、ほとんどなかった。

彼らはマーケティングとして、そういう商売をしていない、ということもあるのかもしれない。

あるいは、中島みゆきから時代がずいぶん下がり、世代的な状況として、日本全国の風景が何処もかしこも、同じようなロードサイド店に席巻されてしまったこととも、無縁ではないような気もする。

また、避けられない要素として、北海道における地理的な隔離と、文化的な差異もあるだろう──とにかく、北海道は広い。

内陸なのか、海なのか、地理的条件は東西南北でガラリと違う。
また、ほんの四半世紀前ですら、充分な道路網、流通網が整備されていなかった*1ので、人や物の行き来は活発ではなかった。

となると、距離が離れることで、言葉や文化、習慣は大きく異なる。
そして、その町、地域が、ルーツとして本州の何処の地方を持つのか──という要素も加わる。


中島みゆきとドリカムの吉田美和は、じつは帯広市の同じ高校の同窓だ。
しかし、札幌生まれで、後に札幌の大学に進んだ中島と、道東の池田町出身で帯広の高校に進んだ吉田では、その背景がずいぶんと異なる。

また、こうして“北海道論”を言い立てる僕にしても、札幌にやや近い美唄市(道央)の出身で、函館(道南)の高校に進学──と、北海道民として一般的な背景を持っているとは言いがたい。

ここでカギになるのは、北海道的な共通文化、共通認識としての札幌の存在だ。

かつての中島みゆきが持っていた北海道的普遍性は、札幌で生まれ、学生時代を過ごしたことがバックグラウンドにあると考えていいと思う。

北海道における札幌とは、ローカルメディアの中心であり、かつ文化的な最大公約数という部分も担っているのだ。


ドリカムにも「LAT.43°N」といった札幌そのものが登場する曲がある。
しかし、それに対する感情は、ポジティブなものではあっても、どちらかというとユーミンの盛岡や金沢を歌ったご当地ソングに対するような印象に近い。
そこには、ローカル性というよりはむしろ、鳥瞰、俯瞰した引いた視点があるのだと思う。

しかし、彼らのファンの中には“吉田美和=北海道、冬”というイメージもあるという。

地理的な隔離や、いわば“民族の十字路”といった要素が内在する北海道の中からは、かえってそうした“キーワード”としてのドリカム像──といったものが見えにくいのかな、とも思った。



一方のGLAYは、メンバーのほとんどが道南の函館の出身だ。

僕はその当時、函館で同じ高校生として、彼らと市電やバスで乗り合わせたこともあったかもしれないくらいなのだけれど、楽曲を通じ、彼らと何かを共有していると思えたことは無かった。

例えば「Winter, again」のように ♪歴史の深い手にひかれて──といった一節をして、その舞台となっている北国の何処かを、函館であると恣意的に解釈をできるものもある。

この曲は、TAKUROが故郷の冬を思い浮かべて書いたとも言われているが、この時点で既に、高いレベルでの普遍化が進んでいる印象が強い。

実際、この曲から二年さかのぼる、彼らにとっての初ミリオンとなった「HOWEVER」でも、♪この地球(ほし)で生まれて──と、その世界は既に圧倒的な昇華を見せている。

ローカルビジネスを指向しない、あるいはメジャー指向というのは、つまりはこういうことなのだろう。



ここで、松山千春にも触れておこう。

彼は、北海道の一地域としての足寄、道東のイメージを大きく掲げている人ではあっても、それは、北海道としての普遍性とはまた別のものだろう。
彼は、地域性から出て、共通認識に遷移していったのではなく、叙情派フォークという限定された世界の中で、普遍性を獲得した人ではないだろうか。

例えば、松山の同郷同窓の先輩である鈴木宗男が率いる新党大地のテーマソングでもある「大空と大地の中で」の歌詞に、♪果てしない大空と広い大地のその中で──という一節がある。

しかし、その「広い大地」を「地平線が見えるような風景」と狭義に考えたとき、それは北海道での一般的な風景ではなく、誰もが見たことのある普遍的なイメージとは言いがたい。



ところで、僕は、ミュージシャンやアーティスト、有名人に限らず──

“北海道出身者は目が笑っていない説”

──という個人的な説を、長年提唱(?)している。

もっとも、まとめて書いたことがあるわけではなく、せいぜい居酒屋トークどまりの話ではあるけれど。

これは例えば、大泉洋玉置浩二安住紳一郎といった人たちの話だし、他にも実例はいくらでもある。

北海道とそこに暮らす人々は、大陸的であるとか、おおらかであるとか、そうしたポジティブ評価をされることが多いし、たしかにそれは事実だと思う。

しかし、その一方で、半年自転車に乗れないような閉ざされた世界で、人は心から笑えるのだろうか──といった閉塞感の存在もまた、強く感じてしまうのだ。


■DREAMS COME TRUE「LOVE GOES ON…」

「LAT.43°N 〜forty-three degrees north latitude〜」は、この2ndアルバムに収録され、同時発売されたシングル曲。

「未来予想図 II」を高校生の時に作っていたという吉田美和に、こうした“引きの視点”が既にあったのは、当然のことなのかもしれない。


♪一緒に見る約束──と、歌詞中に登場するホワイトイルミネーション*2とは、札幌の年中行事の一つ。
さっぽろ雪まつりの会場でもある大通公園が、11月から雪まつりの2月まで、暖かなイルミネーションの光で、大々的に彩られる。

このイベント、東京ディズニーランドや、井の頭公園のボート、横浜の港の見える丘公園と同じように、地元では「ここでデートすると別れる」という負のジンクスが語られている。


「別れちゃってもいいの?」──なんてイタズラっぽく笑う彼女と、寒い冬に手をつないで歩いたのは……ずいぶん遠い昔の話。

昨日の“山手のドルフィン”もそうだけれど、ラブソングのことをあれこれ考えていたら、ずいぶんひさしぶりの思い出が、引き出しから色々こぼれてきてしまったようだ。

*1:内陸部の田舎育ちの僕は、子供の頃、解凍モノではない刺身を食べたことがなかった

*2:さっぽろホワイトイルミネーション

東京ローカルとしてのユーミン

casa_kyojin2012-02-02


NHK「SONGS」に山本潤子が出演。

松任谷由実の曲のカバーも多い彼女だけれど、なんとこれまで“山手のドルフィン”には、行ったことが無かったという。

ソーダ水の中を貨物船が通る──

横浜、港の見える丘公園の近くのレストラン、ドルフィンは、ユーミンの代表曲のひとつ「海を見ていた午後」に登場する有名なスポットだ(画像)


僕もまた、ある晴れた日の午後にドルフィンを訪れたことがある。

「最後のデートは、あの店に連れてって──」

あの日の、停めにくい駐車場を、今も切なく思い出す。



ともあれ、そうした“聖地巡礼”は、ファンにとってのお楽しみのひとつだ。

観音崎の歩道橋(「よそゆき顔で」)を探しに行ったり、立教女学院でのミサでは、パイプオルガンの響きの中に「翳りゆく部屋」のイントロのイメージを探した(音源としては別の教会のものだけれど)

♪カンナの花が揺れて咲いてた(「カンナ八号線」)のはどのへんなんだろう? と環八を通るたびに思うし、用賀のデニーズだって、そんな“聖地”のひとつに数えていたりもする。


僕がユーミンの世界の中の“東京目線”を意識するようになったのは、彼女と同世代の東京の人たちと接するようになったこともきっかけだった。

例えばある女性は、大学生になって親に買ってもらったギャランで、逗子のデニー*1に朝ごはんを食べに行った──なんて話を聞かせてくれた。
そんな話を聞けば、それこそ「よそゆき顔で」に登場する♪ドアのへこんだ白いセリカ──を思い出してしまう。

そんなふうに、ユーミン的世界に登場する横浜や湘南は、東京ローカルではあっても、横浜ローカルではなかった。
その横浜は、あくまで東京から第三京浜で出かけていく先だったのだ。

そうした横浜や湘南(via 第三京浜)は、あたりまえだけれどクレイジーケンバンドのヨコハマヨコスカとは全然違う。そして、サザンの湘南とも全く違う。

そうしたローカル性というのは、東京というか、特に世田谷に住んでみて、初めて実感できた部分でもあった。

ところがユーミンは、バブルの頃から、妙に大風呂敷になってしまった。

もちろんそれは、普遍化ということだったとも思う。
そして、ミリオンセラーが“当然”とされるようになった時期以降、世代や世相といった曖昧模糊なものを実に絶妙に切り取るユーミンの視点は、スケールをアップし、鳥瞰、俯瞰の度合いを強め、東京に設置した定点カメラのような視点は、だんだん失われていってしまった。

今思えば、そうした拡大、膨張の始まりは、1980年の「SURF & SNOW」で苗場プリンスに足を伸ばしたあたりからだったのかもしれない。

このアルバムの前後、79年の盛岡旅行(「緑の町に舞い降りて」アルバム:悲しいほどお天気)と、81年の神戸のご当地ソング(「タワー・サイド・メモリー」アルバム:昨晩お会いしましょう)では、やはり印象が随分違うと思う。

やがて、まさにバブルに突入していた88年のアルバム「Delight Slight Light KISS」では、舞台装置としての“東京ローカル”を意識できる曲が、ついに存在しなくなる。

ユーミンの絶頂期を代表する曲「リフレインが叫んでる」を収録するこのアルバムで、そういう明らかな変化があったのは、なにやら象徴的だ*2



僕は中学生の頃、81年の「昨晩お会いしましょう」でユーミンに出会い、さかのぼり、そして次作、82年の「PEARL PIERCE」からはリアルタイムで聞くようになった。

東京に出てきてから、前述のような出会いの中で、別の聴き方をするようになっていったけれど、僕にとってのユーミンというのは、86年の「ALARM à la mode」までがギリギリだったのかもしれない。

でも、今でも、いつでも、スノーボードを積んだ車を関越に走らせる時は「SURF & SNOW」を持っていくことを忘れない。
そして、ユーミンを聴けばいつでも、自分がまだ“恋をしていたころ”を、思い出すのだ。

そして、一番好きなアルバムは、これ。

“A面”二曲目のタイトルナンバー「真珠のピアス」のイントロのギター(鈴木茂?)に強烈な印象がある。

“東京ローカル”としてのモチーフや舞台としては、後楽園ゆうえんち、日比谷公園や横浜中華街、新宿駅が登場するとも。


■松任谷由実:PEARL PIERCE(1982年)

*1:ここも閉店してしまったけれど

*2:「リフレインが叫んでいる」は横須賀の、葉山に近い海岸が舞台だとも。ただし、作中に明示はされていない。

パスタ・アマーレ(荻窪)★★★★☆

casa_kyojin2012-02-01


ひとむかし、ふたむかし前くらい、イタリアンがまだまだ一般的ではなかった頃、街には普段使いのパスタ屋さんがたくさんあった。
まだまだ子供だった僕は、そうした店でたらこスパだとか、森のきのこの──だとか、ナスとミートソースの──といったパスタの味を知った。

この店は、そうしたお店が今時なテイストに正常進化したようなパスタ屋さんだ。
決してイタリアンではない、そこがポイントなのだと思う。

パスタ、そして添えられたフォカッチャ(ランチではおかわりができる)
イタリアンな雰囲気で、味わいは優しく、ちょっと和風。

昼でも夜でも、ちょっとご飯を食べるのに、こういう店が近所にあるといいのにな──そんな店だ。

ご主人のご実家が漁師さんだか魚屋さんだということで、魚介系のメニューがちょっと面白い。
また、野菜にもこだわりの仕入れがされていたりもする。

画像のメニューは、生のイワシとトマトのパスタ。

プッタネスカ(トマトとアンチョビ)をオーダーしたのだけれど、「今日は生のイワシがありますよ」とのオススメだったので、+100円だったか200円だったかで、生のイワシをチョイス。

会計時に、フロアを切り盛りしている奥さんの「生イワシ、いかがでしたか?」との問いに、「とてもフレッシュで美味しかったです。でも、この味わいだとプッターナというよりは少女の──って感じですね」なんて答えた。

カウンターの中で鍋をふるっているご主人が、くすりと笑った。


■プラリナ トマトソース プッタネスカ 180g

イタリアンの便利なところは、こうした出来合いのパスタソースが色々と用意されているところ。
あと、ニンニクと唐辛子が浸け込まれたオリーブオイルも、ペペロンチーノに便利。

パスタ・アマーレ

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